ヨブ34章・神は公正に人の道筋にしたがって報いられる

 ヨブが苦難にあった時、エリフは、「地の人の行う仕方にしたがって神は人に報い、人の道筋にしたがって、それを人に臨ませられる」と語りました。(ヨブ34:11)エホバ神は、エリフと共に語って彼の言葉が正しいとされました。エリフの言葉はどのような状況で語られたのでしょうか。エリフの言葉はなぜ正しいと言えますか。


 ヨブはサタンによって災いを受けた時、それを神からの災いだとみなし、自分は正しく生きることを努力してきたので、神が裁きを曲げられたと主張しました。ヨブの三人の友は、おおむねヨブに罪があるのでヨブは苦しみを経験していると主張しました。


 エリフはヨブと三人の友が語り終えて後、語り始めました。エリフは、ヨブが知識や洞察力がないのに語っていると述べました。(ヨブ34:25)そして、エリフは、「地の人の行う仕方にしたがって神は人に報い(られる)」と語りました。(ヨブ34:11)


 ですから、エリフは、ヨブが自分は純粋で違反がないのに、神がヨブを攻めていると言うのは正しくないと述べています。(ヨブ33:9-11)そして、エリフは神が「邪悪なことを行ったり」、「不正を行ったりすることなど決してない」と述べます。(ヨブ34:10)


 確かに、ヨブに災いをもたらしたのは、エホバ神ではありませんでした。サタンが義人のヨブにゆえなく災いをもたらしました。(ヨブ1- 19)それで、ヨブに起こった災いのことで、エホバ神を非難するのは、的外れでした。


ヨブは、邪悪な人が年老い繁栄して富を享受している場合があると述べました。(ヨブ21:7,9)それは、事実であるかもしれません。エホバ神は邪悪な人がご自分の太陽や雨、季節の収穫物を楽しむことを許されています。(マタイ5:45)


 しかし、それはエホバ神が不正を行っておられることを示していません。それは、神の寛大な愛ある親切を表しています。けれども、邪悪な人が邪悪なことを行うようにエホバ神はそのように取り計らっているわけではありません。


 エホバ神は、ご自分に信仰を持つ義なる人たちに、必要物を供給するために、同時に邪悪な人も物質的な恩恵を受けることを許されていると思います。(マタイ5:45。使徒14:16,17)


 一方、エリフは、神が強力な者を邪悪な者として夜に平手打ちにされることがあると述べています。(ヨブ34:25,26)それは、神が邪悪な者を、一晩で滅ぼされることを意味します。そして、それは、苦しむ者たちの叫び声を聞かれるためです。(ヨブ34:28)


  エホバ神は、邪悪な人々を調査をすることもなく突然砕くことをされます 。(ヨブ34:24)そして、邪悪な者の「代わりにほかの者を」立たせられます。(ヨブ34:24)なぜなら、神の目は義なる人も邪悪な人も、すべての人の歩みを見ておられるからです。(ヨブ34:21。箴言15:3)


 例えば、バビロンは、捕らわれにしていたユダヤ人を解放しようとしませんでした。それで、苦しめられていたイスラエル人は、エホバ神に祈ったことでしょう。その結果、ペルシャ人キュロスがバビロンを攻略し、繁栄を享受していたバビロンの王ベルシャザルは、一晩のうちに殺されました。(ダニエル5:30,31)




Belshazzar's Feast (belshazzar3)
ベルシャザルは神に敬意を払わない人でしたが一晩のうちにキュロスによって殺されてしまいました




 さらに、ユダヤ人の王ヘロデについては、「エホバのみ使いが彼を撃った。・・・彼は虫に食われて息絶えた。」と記されています。(使徒12:23)ヘロデは、クリスチャンヤコブを剣で殺し、ペテロも投獄しました。それで、エホバ神がヘロデ王に復しゅうされました。(使徒12:1-3。ローマ12:19)


 また、邪悪な人は、その苦難の時に神に叫んでも聞いていただけません。(ヨブ27:9)例え、邪悪な人が富と健康と繁栄を享受することがあったとしても、それはその人が死ぬまでのことです。神は神を無視する生き方をする富んだ人が一晩で滅びることを許されることがあります。(ルカ12:16-21)


また、その人の子孫が災難を経験することになるかもしれません。(ヨブ27:14)また、邪悪な人々が蓄えた富をその人はシェオルに持っていけるわけではありません。(テモテ第一6:7)その人は裸で墓に行きます。(ヨブ1:21;27:16,19)


 一方、エホバ神は、ご自分に忠実な義なる人に報いを与えられます。例えば、ダビデは、大きな失敗があったものの、おおむね神の律法に従って信仰の内に廉直に歩みました。エホバ神はダビデを窮地から何度も救い、最後には誉れを与えて、ダビデの忠節に報いられました。(詩編18:50,144:10)


 族長のアブラハムヤコブとイサクは、その生涯を信仰のうちに歩みました。それで、エホバ神は彼らが生きている間、さまざまな仕方で助けられました。また、彼らは死んでも神の目には生きているので、将来この地上に復活させられるという結果になります。(マタイ22:31,32)



More than once God spoke from heaven to Abram, or Abraham, making an everlasting covenant with him (Genesis 15). (abraham6)
アブラハムは神への信仰に従って生活し神から助けられ子孫が祝福されるという約束を受けました


(Isaac)Isaac digging for the wells, imagined in a Bible illustration (c. 1900)
イサクも神への信仰に従って生活しアブラハムの約束を受け継ぎ復活も保証されています




 一世紀のクリスチャン、ステファノは、真実に基づいて証言した結果、石打ちにあって殺されてしまいました。でも、エホバ神は、死の直前にご自分とキリストの幻をステファノに見せたので、ステファノは例え死ぬことになっても神に是認されているという確信を持っていました。(使徒7:55,56)



Before the Sanhedrin, the Jewish council, Stephen gave a stirring sermon about Jesus. For this, he was stoned to death, becoming a martyr for Jesus (Acts 7:1-34). (stephen8)
ステファノは勇気をもって証言したために殉教しましたが天への復活が保証されています



 そして、エホバ神は、西暦70年に、イエスとその追随者たちを殺したエルサレムをローマ軍によって終わらせることによって、ご自分の僕たちを迫害し殺した者たちに当然の報いを与えました。そして、ステファノは、神の王国の一員として天に復活させられることになっています。(コリント第一9:25)


 それで、エリフの言う通り、神は人に公正に報い、人の道筋にしたがって良いことと悪いことがその人に臨むようにされます。
 

エホバ神は、ご自分に忠節な人には、忠節に行動され報いが臨むようにされます。(サムエル第二22:26)一方、ご自分を無視する邪悪な人には、その人に相応の結果が臨むようにされます。それは、その人々が生きている間かもしれず、また死んだ後に相応の報いが臨むようにされるかもしれません。


例えて言えば、エホバ神はすべての人にその生き方についての領収書をひとりひとりに与える人になぞらえられます。神に信仰を抱いて生きた人には多額の金額を受け取ったという領収書を与え、神を無視する生き方をした人には、その領収書にゼロが記されているでしょう。神は、その領収書に基づいて報いられます。(ルカ12:20,21。マタイ6:19,20)



A box of receipts by ben_osteen (receipt2)
エホバ神はいわばすべての人にその生き方についての領収書を与えて報いられる人になぞらえられます



 しかし、確かにヨブが語っていたように、エホバ神は、一時的には 物事がそのまま発展されるままにされることもあります。


 しかし、エホバ神ご自身は、決して不正な事や邪悪なことを行われません。エホバ神は公正に行動されます。私たちは、エホバ神が最終的に必ず正しく報いてくださることに信頼して、神に忠節な道を追い求めましょう。