ネヘミヤ8・9章・エズラやネヘミヤが取り決めた大会から学べること

 ネヘミヤ書には、ネヘミヤが破壊されてしまっていたエルサレムの城壁を建て直し、その後、バビロンから帰還していたイスラエル人の大会を取り決めたことが書かれています。そのようにして神の言葉聖書の教育が行われました。現代の私たちは、その時祭司エズラやネヘミヤが行った大会の方法を参考にすることができます。(ネヘミヤ8:1) 


必ずしも、現代の大会を古代に開かれた大会と全く同じ形態にする必要はないと思いますが、聖書に書かれている大会は、学ぶべき点があるはずです。


 まず、祭司エズラエルサレムの公共広場に集まって、夜明けから真昼まで、律法の書を朗読し続けました。(ネヘミヤ8:3)夜明けから真昼まで、民はエズラの朗読を立って聞き続けたようです。(ネヘミヤ8:5,7)そして、それを八日間続けました。(ネヘミヤ8:18)





Ezra Reads the Law (ezra2)エズラは大会で神の言葉聖書の朗読を行ないました




 夜明けから真昼まで立っていたら、現代の人々であれば、倒れる人が続出すると思います。昔の人が丈夫であったことをこのことは示していますが、これは、別の事の大切さも示しています。聖書そのものの朗読に力を入れる必要があるということです。(テモテ第一4:13) 聖書そのものの知識が重要です。


 さらに、その大会の際、朗読の後、モーセの律法の説明が行われました。それは、律法に精通していて、教える資格のあるレビ人による説明でした。(ネヘミヤ8:7)人々は、聖書の意味を理解して喜びました。(ネヘミヤ8:7,8,12)このことは、やはり、聖書をただ読むだけでなく、聖書を説明する必要があることを示しています。


 私は聖書朗読の集会を開く場合、できるだけ多くの人に注解して参加する機会があった方が、出席者も満足感を得られるとは思います。しかし、聖書の正しい知識を得るためには、やはり、聖書について精通している教える資格のある人々が中心になって聖書を説明する必要があると思います。(テモテ第一3:2。ヤコブ3:1)


 そうであれば、聖書朗読の集会の際、前もって割り当てられていた資格ある教え手が朗読部分について説明することが中心になるのが良いと思います。しかし、そうした準備された解説が終わって残された時間には、できるだけ出席者の多くに注解する機会を与えた方が、出席者は喜びを得られると思います。


 また、昔の大会では、二日目には、民の中心になる人々がエズラのもとに集まって律法の教えを洞察しました。(ネヘミヤ8:13)そして、仮小屋の祭りを行うべきだという律法の要求を見つけ、仮小屋の祭りを行うことにしました。


 そして、これは指導的な立場にある人々による付加的な集会を開いて聖書について討議して、どのように当てはめたらよいかを討議することが良いことを示しています。それで、聖書はそれを実行するという観点から読むべきです。


 さらに、ネヘミヤ9章には、イスラエル人のまた別の大会について記されています。その大会では、一日の四分の一は、聖書を朗読して、四分の一は、エホバに告白をしたと記されています。(ネヘミヤ9:3)


 エホバに告白するというのは、エホバに自分たちの状況を祈りのうちに申し上げることを意味しています。ですから、古代の大会においては、神への祈りがかなり大きな部分を占めており、自分たちのエホバに対する立場が真剣に考慮されました。


 そして、ネヘミヤ9章6節から38節までは、あるレビ人の捧げた祈りが記されています。これは、非常に長い祈りです。そして、その祈りは聖書朗読をして学んだ深い知識を反映しています。



When the people listened to Ezra read the Law of God or Book of the Law, the Scriptures at that time, they prayed and confessed their sins (Nehemiah 9:6-38). (ezra4)
エズラが聖書を読んだ集会では神への祈りがささげられ罪を告白しました



 その祈りの中で、レビ人は、イスラエルの歴史を回顧して、何が間違っていたかを述べ、さらに現在の状況を述べ、エホバ神の憐れみと助けを願い求めています。


 それで、エホバの証人の集会では、集会の前後にだけ祈りがありますが、より一層聖書を当てはめるならば、もっと祈りに力を入れられると思います。学んだ知識に基づいて自分たちの状況についてエホバ神に語り掛けることができます。


 それで、聖書朗読の集会、もっと祈りに力を入れ、集会中、コメントが求められた人は望むなら、祈りを捧げてもいいのではないかと思います。



Bob Hall (prayer53)
聖書朗読の集会の際もっと祈りに力を入れることができます



 聖書朗読は、「教える」というより、文書を単に読んでいるだけですから、みんなで少しずつ読むこともできるのではないかと思います。私は、聖書を読むこと自体は、その人が教えていることにはならないので、女性も聖書朗読に加わってもいいのではないかと思います。(テモテ第一2:11,12)


 その後、まず、割り当てられた資格ある教え手が、少しずつそれについて解説したり、関連した祈りをささげることもできるのではないかと思います。これは聖書の原則からいうと、男性が中心になってするのがいいと思います。しかし、油そそがれたクリスチャンの場合は、女性であっても、説明に加われると思います。(マタイ24:45。ルカ12:42。ガラテア3:28)


 しかし、油そそがれたクリスチャンの男性がいる場合は、油そそがれたクリスチャンの女性はその男性に敬意を払う必要があると思います。(テモテ第一2:11,12)


 聖書は集会中、秩序正しく行うようにと勧めています。(コリント第一14:31-33)


 それで、エズラとネヘミヤが取り決めた大会から、クリスチャンの集会において、もっと聖書そのものの朗読と、祈りを強調すべきことを学べると思います。




集会でもっと聖書朗読に力を入れましょう
(biblereading16)