続・楽園での永遠の命が退屈ではない理由

「受けるより与えるほうが幸福である」(使徒20:35)

 聖書は人間が地上の楽園で永遠に生きるようになることを約束しています。もし、人間が長大な期間生きて地球と地上のすべての生物や無生物について全く知り尽くすというようなことが仮にあるとしても,それによって生活は退屈でつまらないものになるでしょうか。

 考えてください。人は普通一年に一千回以上の食事をします。40歳の人はこれまでに4万回以上の食事をしているかもしれません。しかし,年がたつにつれて,食事をすることはしだいにたいくつになったでしょうか。これまでに4万回の食事をした人は,2万回の食事をしてきた人に比べいっそうのたいくつ感を抱いているでしょうか。

繰り返し行なう事柄にも深い喜びがあるのです。気持ちの良いそよ風,愛する者が優しく触れる時の感触,さらさら流れる清流の音,岸に打ち寄せて砕ける波,小鳥の鳴き声やさえずり,壮厳な入り日,くねくね曲がる川,澄みきった湖水,ごうごうと落下する滝,そびえ立つ山や峰,やしの木の立ち並ぶ浜辺,甘い花の香り、ペットのユーモアを感じさせる愛らしい仕草などに飽きを感じる人がいるでしょうか。

さらに、わたしたち人間には,愛しかつ愛される本然的な必要があります。他の人たちが自分を必要とし,愛してくれているということを知ると,わたしたちはずっと生き続けたいと思うものです。自分の愛する人たちの福祉のために物事を行ない、人々と愛し合って永遠に生きることは,わたしたちの喜びとなります。イエスは他の人に与える生き方がわたしたちに幸福をもたらすと言われました。(使徒20:35)

 永遠の命によってわたしたちは,仲間の人間を深く知るのに必要な時間を得,仲間の人間に対して強い愛を培うことができます。聖書は人々がお互いに兄弟のようになる時が来ることを予告しています。(マタイ23:8)

 おそらく地上の楽園には世界には幾百もの民族からなる幾十億もの人々がいるでしょう。今の体制の滅びを生き残った大群衆に、復活してくる幾十億もの人々が加わることになるでしょう。地上の楽園で生活する人類は想像できないほど多様なものになるでしょう。

 今日でも、地上の人類はその個性や服装,また食物・建築・音楽・美術などに対する好みは驚くほど多様で異なっています。現在の短い人生では、地球上の人類の一部の人々のことしか知ることができません。

 地上の楽園では、永遠に時間があるのですから、幾十億人もの人の資質や経験や技能から学んだり親しくなったりするために時間を使うことができます。また、復活してくる人々から歴史の秘話を聞くことができるでしょう。それは、何と興味深いことでしょう。

 そして、地上の楽園では、基本的に人々は自給自足で自分の経済を心配することなく、他の人々に親切にしたり、助けたりすることができます。(イザヤ65:21,22)

 人間は他の人の福祉のために働き他の人に愛を示そうと努力する時、それは、ほんとうに喜びをもたらすでしょう。(使徒20:35)

 地上の楽園で永遠に生きることは決して退屈だったり、つまらなかったりすることはありません。かえってエホバは聖書を通してその生活が喜びに満ちたものになることを約束しておられます。(イザヤ65:17,18)