イザヤ37章・なぜヒゼキヤの祈りは聞き届けられたのか

イスラエルの神、万軍のエホバよ、ただあなただけが、地のすべての王国のまことの神です。・・・生ける神を嘲弄するために言ってよこしたセナケリブの言葉をみなお聞きください。・・・彼の手からわたしたちを救ってください。地のすべての王国が、エホバよ、あなただけが神であることを知るためです。」(イザヤ37:16,17,20)

ユダのヒゼキヤ王の時、アッシリアのセナケリブがユダのすべての都市に攻め上ってきました。そしてアッシリアの王はラブシャケと共に大軍をエルサレムに送りました。ラブシャケはヒゼキヤに手紙を送って、諸国民の神々はアッシリア王の手から自らの民を救い出すことはできなかった、エホバ神は諸国民の神々と同じなのだから、エルサレムを救うことはできないと言って、エホバをあざけって降伏するよう迫りました。

そこでヒゼキヤは使者たちの手からその手紙を受け取り、それを読み、その後エホバの神殿に上って行き、それをエホバの神殿の祭壇の前に広げました。そして、ヒゼキヤはエホバに冒頭の聖句のように祈りました。

ヒゼキヤは、諸国民の神々が諸国民をアッシリアの王の手から救えなかったのは、諸国民の神が人の手の作である偶像だったからであると述べ、エホバ神がまことの神であることを地のすべての国が知るようになるためにエホバに救いをお願いしました。

ヒゼキヤが祈り終えたあと、預言者イザヤはエホバからの次のような音信をヒゼキヤに送りました。「あなたがアッシリアの王セナケリブに関してわたしに祈ったので・・・彼はこの都市に入ることはない。・・・彼は自分が来た道を通って帰って行き、この都市に入ることはない。」(イザヤ37:21,33,34)

こうして、エホバはひとりのみ使いを遣わして、そのみ使いは一晩でアッシリアの陣営の兵士十八万五千人を打ち倒しました。人々が朝早く起きて見てみると、彼らは皆死がいとなっていました。(イザヤ37:36)そこで、アッシリアの王は降参して帰っていったので、エホバが言われた通り、アッシリアエルサレムに入ることはできませんでした。

なぜヒゼキヤの祈りは聞き届けられたのでしょうか。ヒゼキヤはエホバの目に正しいことを行なう王でした。ヒゼキヤはエホバ神に信頼し、モーセの律法を守り続け、偶像崇拝ユダ王国の中から取り除いていました。ヒゼキヤはエホバに対して全き心を持っていました。

そして聖書の中には、「エホバは・・・ご自分に対して心の全き者たちのためにみ力を表わしてくださるのです。」と述べられています。それで、ヒゼキヤはエホバ神の崇拝を心から第一にしていたので、彼の祈りは聞き届けられたことが分かります。

さらに、ヒゼキヤは、アッシリアの王によってエホバが真の神であることに対して疑問が投げかけられていたことを第一に気遣っていました。それでヒゼキヤの祈りは疑問が投げかけられたエホバ神の神性に焦点を合わせていました。

エスも主の祈りの中でわたしたちが第一に祈るべきなのは、「あなたのお名前が神聖なものとされますように。」ということであると言われました。(マタイ6:9)それで、ヒゼキヤの祈りの場合、エホバ神が真の神であることが立証されることを願う祈りだったので、聞き届けられたのでしょう。

この時のヒゼキヤの祈りは、彼が日頃エホバの崇拝を心から第一にしており、エホバ神の観点から物事を考え、エホバ神の神性を第一に気遣うような祈りを捧げたので、聞き届けられたということが分かります。