マタイ5章・ポルノはなぜいけないのか

「女を見つづけてこれに情欲を抱く者はみな,すでに心の中でその女と姦淫を犯したのです。」(マタイ5:28)


 ポルノはなぜ良くないのでしょうか。テレビ、映画、ビデオ、雑誌、本、パソコン、携帯その他の映像や写真で、女性の裸や性関係の場面などを映しているものをポルノと言います。


 そうしたものを見続けていると、イエスの言葉通り、女を見続けて情欲を募らせることになります。そうすると、最初は興奮して自慰行為を繰り返し行なうことになるでしょう。それは、性道徳を守ろうという意志と自制心を弱くします。


 ポルノを見続けていると、機会が訪れた時に、相手の人が望まないのに、襲ってレイプをするような犯罪行為に導かれるかもしれません。


 それはまた、セックス中毒や夫婦の不和や離婚という結果を招くでしょう。それは従来の伝統的な堅実な社会生活や家族生活を崩壊させるでしょう。そして、最終的にエホバの是認を失うことになります。


 女性の裸を見ることは、その女性に対する愛の表明でしょうか。エレミヤ哀歌1章8節には、「彼女に誉れを与えていた者たちは皆,彼女を安っぽいものとして扱った。その裸を見たからである」とあります。


 それで妻ではない女性の裸を見ることはその女性に対する愛の表現ではありません。反対に女性を安っぽいものとして扱っていることになります。女性に対する敬意が失われるならば、その女性に対して親しい関係を持つ事が難しくなったり、レイプをしたり暴力を振るったりすることさえあるでしょう。ポルノは犯罪行為の引き金になることが知られています。


 現代は、進んで裸になって写真や画像にとられ、メディアに自分の裸を公開する女性も少なくありません。それがあたかも誉れであるかのようなみなしている人もいるかもしれません。


 しかし、聖書はこう述べています。「わたしはあなたのすそをあなたの顔にかぶせて,諸国民にあなたの裸を,もろもろの王国にあなたの不名誉を見させる。」(ナホム3:5)「身にまとってあなたの裸の恥が現われないようにするために白い外衣を・・・わたしから買うように忠告する。」(啓示3:18)


 それで、聖書は裸になることと、不名誉と恥を結び付けています。それで、自分の裸をメディアに公開することによって、やはり心ある良心的な人のひんしゅくを買うことになるでしょう。そのことが聖書の神エホバにとって不名誉であり、恥であるのは言うまでもありません。


 詩篇1編2,3節には、神の律法を守ろうとする神の僕が成功することがこのように述べられています。「その人の喜びはエホバの律法にあり,その律法を昼も夜も小声で読む。・・・彼の行なうことはすべて成功する」とあります。

 
 ポルノを見ないようにして性道徳を守ろうと努力する人には、エホバの是認と祝福がもたらされます。私たちは神の律法を守ってポルノを見ないように努力を払いましょう。