エレミヤ18章・エホバは国家的な悔い改めに応じられる

「わたしがある国民,ある王国に向かって,[これを]根こぎにし,[これを]引き倒し,[これを]滅ぼすと語ったのに, その国民がわたしの責めたその悪から実際に立ち返るときにはいつでも,わたしもこれに下そうと考えていた災いを悔やむ。 しかし,わたしがひとつの国民,ひとつの王国に関して,[これを]築き上げ,[これを]植えると語ったのに,それが実際にはわたしの声に従わずに,わたしの目に悪いことを行なうときにはいつでも,わたしもそれにとって良いことをすると[自分自身に]言ったその良いことを悔やむ。」(エレミヤ18:7〜10) 


 もし、エホバ神がある王国について、滅ぼすと語られたら、その預言は、その王国の国民の行ないにもかかわらず、その王国は滅ぼされるでしょうか。エホバの言葉は成就しなければならないので、その王国の行いの良し悪しにかかわらず、その王国は滅ぼされるのでしょうか。
 

 エレミヤ18章の冒頭の聖句は、エホバ神が実際の行動に応じられることを、示しています。言い換えれば、エホバ神は被造物の自由意志の行使に良い方向で柔軟に応じられることを示しています。
 

 例えば、エレミヤ18章に見られるエホバ神の行動の仕方についての原則を見事に表わしているのが、預言者ヨナが宣べ伝えたニネベの人々に関する事例です。


 エホバは預言者ヨナにニネベの人々の悪のゆえに40日の内に滅ぼされることを宣べ伝えさせました。(ヨナ3:4)ところが、ニネベの王やニネベの人々は、預言者ヨナの宣言に次のように反応したことを聖書は示しています。「ニネベの人々は神に信仰を置くようになり,断食をふれ告げて粗布をまとい,その最も大なる者から最も小なる者までがそうするのであった。・・・[王]は自分の王座から立って職服を脱ぎ,粗布で身を覆って灰の中に座った。・・・こう言ったのである。『人も家畜も粗布で身を覆うように。力をこめて神に呼ばわり,各自自分の悪の道から,その手の暴虐から引き返すように。』」(ヨナ3:5〜8)


 それで、ニネベの王と人々は、ヨナのみ言葉の宣明に応じて、神を恐れ、悪から立ち返る努力をしました。エホバはニネベの人々の神への恐れと悔い改めにどのように応じられたでしょうか。


 「[まことの]神は,彼らの業を,すなわち彼らがその悪の道から立ち返ったのをご覧になった。そうして[まことの]神は,彼らに加えると語られたその災いに関して悔やまれた。そして,[それを]加えなかった。」(ヨナ3:10)


 エホバ神はご自分の言葉の真実性にこだわって、ニネベの人々の自由意志の行使に応じられないということはありませんでした。エホバ神がニネベの人々の自由意志と悔い改めに応じられたので、預言者ヨナの宣べ伝えた預言の言葉は成就しないことになりました。
ですから、エホバ神は、人々の実際の行動や悔い改めに応じられるということが、エホバ神のニネベの人々の関わりから分かります。ある特定の預言も成就しないことさえありました。それは、エレミヤ18章の記述と調和しています。


 このことは、大いなるバビロンであるアメリカ合衆国に関しても、言えるでしょう。米国オバマ大統領は『核なき世界』を目指すとする理念を明らかにして、国際平和や地球環境などの問題に対話と協調を行動原則として取り組む意志を明確に表明しました。そのような平和のための努力がアメリカ大統領によって払われている間は、緋色の野獣による総攻撃である大患難は、起きないでしょう。また、私が調査した範囲では、アメリカ合衆国の中で、良心的兵役拒否者に対する流血を伴う迫害は見い出すことができませんでした。


 確かに、聖書は緋色の野獣によって大娼婦、大いなるバビロンが、滅ぼされることを預言しています。しかし、エホバ神は、事実と人間の自由意志に反応される方です。そのような良い努力と事実がある間は、大患難は起きないでしょう。


 しかしながら、聖書の預言は時は特定していなくても、長い間には、いつか成就することでしょう。大患難は、数十年後かもしれません。時は特定することはできません。いつか成就することでしょう。忠実で思慮深い奴隷であるクリスチャンの責務は、大患難ができるだけ遅く、できるだけ期間が短くなるように努めることです。(マタイ24:21,22。啓示7:1)


 私たちクリスチャンは、聖書を引き続き研究し、国際情勢に目ざとくあって預言がどのように成就しているか見張っている必要があるでしょう。