11/17はてなダイアリーのコメント延長

ヨセフ 2009/11/24 23:46 本当に、私にはあなたの言っていることが理解できません。あなたは、この記事の最後の文脈で、こう言っているのですよ。
『しかし、イエスが最終的に人類の裁きのために到来される時、裁かれた人には復活はありません。(マタイ25:46)誰を復活させるかを決めるのは人間の命の源であるエホバ神です。このことを考えるとエホバ神に是認されるように信仰をもって生きるのが本当に賢明であると言えるのではないでしょうか。』
つまり、「イエスが最終的に裁いた人に復活はありえない」ということを言っておきながら、そのすぐ後で、今度は「誰を復活させるかを決めるのは人間の命の源であるエホバ神です」と言われます。これを順当に解釈するならば、イエス=エホバ神と考える以外に考えようがないではありませんか。そうでなければ、あなたが書いた、この文章が間違っているのです。

littleyohane 私の注解が分かりにくかったようですね。イエスは、この事物の体制の最後の時に、邪悪な者を裁かれます。その時、裁かれて滅ぼされてしまった人には、復活はありません。

そのイエスの裁きをエホバ神は受け入れられます。イエスはエホバから裁く権威を与えられているからです。聖書は一時的に、イエスが人類を裁く権威を与えられていることを述べています。(使徒17:31)

また、イエスはエホバのご意志を追い求めるので、イエスの裁きは義にかなっていると言われたことがありました。それで、イエスの裁きはエホバの頭の権のもとで行なわれています。(ヨハネ5:30)

それで、イエスの裁きを、私はエホバの裁きと表現しました。イエスはエホバ神から権威を委ねられているので、それをエホバの裁きと言ってもいいと思えるからです。