ヨハネ第一1章・罪の許しのために罪を告白する必要

「わたしたちが自分の罪を告白するなら,[神]は忠実で義なる方ですから,わたしたちの罪を許し,わたしたちをすべての不義から清めてくださいます。」(ヨハネ第一1:9)

 
 エホバはキリストの贖いを備えてくださったのですから、私たち人間の罪は、犯された時に、すでに許されているのでしょうか。罪を悔いて神に告白する必要はないのでしょうか。そうではないということが分かります。


 たとえば、初期クリスチャンがエルサレムで互いに助け合って生活していた時に、資産を持っているクリスチャンは、自分の資産を売ったお金を使徒たちのもとに持ってくるということをしたことがありました。アナニアと彼の妻サッピラは、使徒たちのもとに持ってきたお金の一部をひそかにとっておいたのに、持ってきたお金が自分たちが畑を売った金額の全部であると偽りました。そのことをペテロから確かめられた時、妻サッピラはうそを言ったことを認めず、うそをつき通しました。その結果、サッピラは神に裁かれて死んでしまいました。(使徒5:7〜9)


 彼女が正直であり、偽りを言ったことを認めていたら、裁かれるという結果にはならなかったと思われます。それで、罪を犯してもそれを認めず、隠しているならば、キリストの贖いをもってしても神の許しは得られないということをアナニヤとサッピラの例は示しています。


 それで、やはり神から罪を許されるための第一段階は罪を認めて、神に罪を祈りのうちに言い表すということです。また罪を告白しなければならない人に対して、罪を告白するということです。