2009年11/19はてなダイアリーのコメント延長


2009年11/19の「エホバはマナセのへりくだりを受け入れる」のコメント欄が一杯になりましたので、以下にコピーして延長します。


ヨセフ 2009/11/24 20:13 地上の楽園は、悔い改める余地のある人々が神の教育を受けて悔い改める期間であるというのですね。しかし、ヨハネの黙示録の20章を読む限り、第一の復活にあずかる人は、幸いで聖なる人であり、その後に復活する人々は、ただ裁きのために復活すると読めます。『死んだ者たちはそれらの巻き物に書かれている事柄により,その行ないにしたがって裁かれた。』と書かれており、『復活した者たちは、・・・』とは書かれていないからです。あなたが言うところの、「楽園で神の教育を受け」という事柄は、聖書のどこから出てくるのでしょうか。

littleyohane 啓示20章12節には、「死んだ者たちが、大なる者も小なる者も、そのみ座の前に立っているのを見た。」と述べられています。聖書は聖書は神について、「生きている者の神」と述べられています。(マタイ22:32)また、死者は無意識、無存在であると述べられているのですから、ここでは死んだ者が復活させられて生きている者となって神のみ前に立つようになることについて述べています。


 また、啓示20章13節には、「そして、海はその中の死者を出し、死とハデスもその中の死者を出し、彼らはそれぞれ自分の行ないにしたがって裁かれた。」と述べられています。これは、海で死んだ死者も含め、死とハデス(墓)から、いっさい死者が出されて、生きている者となって、それぞれの行ないに従って裁かれるということを意味しています。つまり、人類史上、神から復活に価するとみなされた幾十億もの人が、すべて復活させられるということです。


 そして、啓示20章12節には、死んだ者たちが命の巻き物に書かれている事柄によって裁かれたとあります。命の巻き物には、楽園での命を得るための神のご要求が書かれているでしょう。地上の楽園では、生きている者がすべて命の巻き物から学ぶことになります。それで、地上の楽園にいる人々は復活した人も含めて、命の巻き物から学んだ後に、その行ないに従って裁かれます。


 きっとこれだけの説明では、ヨセフさんは納得されないと思います。まず、死の状態が無意識で無存在であることを納得する必要があります。そのことについては、カテゴリーの「死の状態」の記事をお読みください。また、復活については、「復活」のカテゴリーに記事がありますが、また将来記事をアップしますので、読まれてください。