使徒2章・クリスチャンが神の御名を用いる妥当性

「エホバの名を呼び求める者はみな救われるであろう。」(使徒2:21新世界訳)


 ヘブライ語聖書つまり「旧約聖書」の中で,神の御名は揺るぎない位置を占めています。ユダヤ人はやがて御名を発音しなくなりましたが,その宗教信念ゆえに,聖書の古い写本を作る際,それを除くことはしませんでした。ですから,旧約聖書ヘブライ語聖書には,神の御名が他のどの名よりも多く記されています。


 「新約聖書」の場合は事情が異なっています。啓示の書(聖書巻末の書)の写本には,神の御名が「ヤハ」という省略形で、「ハレルヤ」という語に含まれて出ています。しかしそれを別にすれば,聖書のマタイから啓示までの書の完全な形の古代ギリシャ語写本で今日わたしたちが手にしているものの中に,神の御名をすべての箇所に含んでいるものはありません。


 今日私たちが手にしているマタイから啓示まで完全な形の古代ギリシャ語写本は、テトラグラマトンの代わりにキュリオス(主),もしくはテオス(神)というギリシャ語を用いる習慣が一貫して守られています。しかし、今日知られている最も完全な写本の年代はいつ頃のものですか。せいぜい西暦4ないし5世紀までさかのぼるにすぎません。


 では、イエス・キリストとその弟子たちである初期クリスチャンは,どんな聖書を使っていたのでしょうか。その当時までに旧約聖書は完成していました。イエスとその弟子たちは、ヘブライ語で書かれた旧約聖書の中にヘブライ語の神の御名であるテトラグラマトンを何千個も目にしていました。
また、その当時はギリシャ語が、共通語になっており、イエスの弟子たちは、ヘブライ語ギリシャ語に翻訳されたセプトゥアギンタ訳の聖書を持っていました。その最初期のギリシャ語セプトゥアギンタ訳写本にヘブライ語の神の御名が出てきます。ギリシャ語セプトゥアギンタ訳の西暦前1世紀のパピルス写本断片の申命記の幾つかの箇所に四文字語・テトラグラマトンが示されています。


 また、西暦2世紀の年代のものであるアキュラのギリシャ語訳には,依然としてヘブライ文字の四文字語・テトラグラマトンが出ています。また、西暦245年ごろ,著名な学者オリゲネスはヘクサプラ(対照訳)、ヘブライ語聖書の6欄写本を作りました。その写本にはヘブライ文字テトラグラマトンが出てきます。最初期の写本の断片には神の御名が確かに用いられていました。


 ですから、今日知られている最も完全な写本の年代は、せいぜい西暦4ないし5世紀までさかのぼるにすぎませんが、さらに古い写本が,断片であるとは言え,幾つか発見されており,神の名が確かに最初期の写本に出ていたことを証明しています。初期クリスチャンの持っていた旧約聖書の中には、その聖書がヘブライ語で書かれたものであれ、ギリシャ語で書かれたものであれ、神のみ名であるテトラグラマトンが出ていました。


 新約聖書の元の筆者たちが神の御名を用いたこと,とりわけ旧約聖書から四文字語・テトラグラマトンの含まれる聖句を引用した際にそのみ名を用いたことは容易に想像できます。それで、現代の私たちも初期クリスチャンの例に倣って、神のみ名が現われる聖書を使い、神のみ名を用いるべきだと言えます。


 では、西暦4ないし5世紀の今日知られている新約聖書の最も完全な写本に神の御名が見られないのはどうしてでしょうか。旧約聖書の中にあれだけ多くの神の御名が現れているのに、新約聖書の写本の中に神の御名が見られないのは異常なことです。


 初期クリスチャンは大変厳しい迫害を受けました。それで、霊感を受けて書き記された聖書の原本や神の御名が記載されていた最初期の写本は失われてしまったのでしょう。またイエスやイエスの弟子たちは、クリスチャンの中に背教が生じるであろうことを予告しました。例えば、「まず背教が来(る)」とパウロは予告しました。(テサロニケ第二2:3)クリスチャンが尊い神のみ名を用いなくなったのは、真のキリスト教からの背教の結果でしょう。もし、クリスチャンが尊い神のみ名を用いないなら、それは悪魔サタンに勝利を収めさせることになるでしょう。


 神のみ名を聖書の中で用いているのは、新世界訳聖書です。新世界訳聖書がどのような方針で聖書の中で、神のみ名を用いているか、さらに取り上げたいと思います。また、一世紀のクリスチャンが神のみ名を発音していたであろうことを示す一般の資料を紹介したいと思います。