エホバはなぜバアル崇拝と戦われたのか・コメ延長

イスラエルはシッテムに住んでいたが,そのとき民はモアブの娘たちと不道徳な関係を持ち始めた。・・・こうしてイスラエルはペオルのバアルを愛慕した。そのためエホバの怒りがイスラエルに対して燃え立った。」(民数記25:1,3)


 バアル崇拝とはどんな崇拝ですか。エホバはなぜバアル崇拝に敵対されたのですか。


 エジプトから導き出されたイスラエル人が荒野で、バアル神を崇拝して、モアブの女たちと不道徳な関係を持ちました。それで、バアル崇拝は性の不道徳と結びついています。詩篇106編28節には、ペオルのバアルを崇拝した者たちが、「死者の犠牲を食べ(た)」ことが記録されています。それで、バアル崇拝とは、死者の崇拝とも結びついていました。エホバはその時バアル崇拝を行なったイスラエル人に対して怒りを表明されて、彼らを滅ぼしつくされました。ところが、バアル崇拝はその後も根強く、イスラエルのうちに存続しました。


 モーセの後継者であったヨシュアが死ぬと、イスラエル人はエホバを捨て,バアルやアシュトレテの像に仕えるようになったと述べられています。(裁き人2:13、10:6)アシュトレテは、バアル神の妻とされていた女神です。それで、バアル崇拝とは、偶像崇拝を特色としています。


 バアルの崇拝のための祭壇が築かれました。(裁き人6:25)また、バアル崇拝のための高き所が築かれました。(エレミヤ19:5)バアルの祭壇のそばに聖木があり、バアル崇拝は聖木の崇拝も伴っていました。(裁き人3:7;6:25)


 バアルの預言者とバアル崇拝の祭司たちがいました。(エレミヤ2:8。ゼパニヤ1:4,5。列王第二10:19 )イスラエルのアハブ王の時代にアハブ王の妻であるイゼベルの食卓で,四百五十人のバアルの預言者が養われていました。(列王第一18:19)ですから、アハブ王の時代には、バアル崇拝が国家によって大々的に行なわれました。(列王第二21:1,3)バアル崇拝は、金の子牛の崇拝や、聖木崇拝、天体の崇拝とも共に行なわれました。(列王第二17:16,17)


 イスラエル人はバアルの高き所で「自分たちの子らをバアルへの全焼燔の捧げ物として火で焼(いて)」捧げたことが記録されています。(エレミヤ19:5)また、ヒンノムの子の谷のバアルの高き所で、モレク神に息子や娘を火で焼いてささげることが行なわれたことが記録されています。(エレミヤ32:35)それで、バアル崇拝には、子供を殺して神に犠牲として捧げる慣行が伴っていました。


 エルサレムでは、家々の「屋上で人々は・・・バアルに犠牲の煙を立ち上らせ(た)」ことが記録されています。(エレミヤ32:29。ホセア11:2)それで、バアル崇拝は個々の家庭で行なわれました。バアル神の崇拝に盗みや殺人、姦淫、偽りの誓いなどの神の律法の違反が伴っていた事も記録されています。(エレミヤ7:9)


 それで、バアル崇拝は、性の不品行や、死者の崇拝また心霊術などの悪霊崇拝が関係していました。また、バアル崇拝には、子供を殺してバアル神に捧げる残酷な慣行がありました。また神の律法のあらゆる違反が伴っていました。またバアル崇拝に関連してエホバの崇拝者に対する流血や迫害が行なわれました。(列王第一18:4)またバアル神の名によって偽りの預言も行なわれました。それで、バアル崇拝は真っ向からエホバ神の崇拝に敵対していました。


 イスラエル人はバアルの像の崇拝のために、諸国民の中に散らされ、剣を送って,滅ぼし尽くすという結果になる事が預言されていました。(エレミヤ9:14〜16) イスラエルの十部族王国はバアル崇拝やその他の偶像崇拝のためにエホバ神の不興を買ってアッシリアによって滅ぼされてしまいました。(列王第二17:6)そして、ユダもバアルの崇拝や他の偶像崇拝のためにバビロンによって滅ぼされてしまいました。


 聖書の神は、エリヤやエリシャや他の預言者や、エヒウのようなバアル崇拝者を裁く人を起こしてバアル崇拝と徹底的に戦われました。聖書の神は偽りの預言や性の不道徳や流血、とりわけご自分の崇拝者の流血に徹底的に反対しておられることが分かります。


 私たちは現代のバアル崇拝に気をつけるべきです。