エレミヤ48章・モアブに関する預言は成就する

「そして,モアブは必ず滅ぼし尽くされ,民ではなくなる。それはエホバに向かって大いに高ぶったからである。」(エレミヤ48:42) 


聖書の中には、モアブについての多くの預言があります。モアブ人とはどんな民族でしたか。モアブに関する預言は成就しましたか。


 モアブは死海の東岸、アルノン川(現ヨルダン・ハシェミット王国のワディ・アル・ムジブ)以南からゼレド川以北(現ヨルダンのワディ・アル・ハサ)の高原地帯に広がる地域を指します。この地域は、現在のヨルダン・ハシェミット王国のカラク高原地域(カラク県)にほぼ等しいということです。(ウィキペディアWikipediaより)


 モアブは、アブラハムのおいロトの上の娘の子でした。(創世記19:36,37)従ってモアブの子孫であったモアブ人は、イスラエル人と血縁関係でした。また、モアブ碑石の碑文に見られるように両民族の言語は非常に良く似ていました。それにもかかわらず、モアブ人がイスラエルに友好的だったのは、モアブ人のルツなど少数でした。(ルツ1:4)


エジプトから出てきたイスラエル人をモアブの王バラクはバラムをやとってのろおうとしました。(申命記23:3,4)その後も、モアブ人は、イスラエルに対して激しく敵対し、イスラエルとモアブの間には何度も戦いがありました。


アッシリア人の支配した西暦前8世紀、預言者イザヤは15章、16章の中で、モアブの都市が災いを被ることを預言し、最後に次のように述べました。「そして今、エホバは語って言われた、『モアブの栄光もまた、雇われた労働者の年期にしたがって、三年のうちにあらゆる大騒ぎをもって必ず卑しめられる。残りの者はごく少数となり、力もなくなる。』」(イザヤ16:14)


 確かに、モアブがアッシリアのくびきの下に入ったという証拠はあります。アッシリアの王ティグラト・ピレセル3世やセナケリブは,自分に貢ぎ物を納めた者の中にモアブを挙げています。また,アッシリアの王エサル・ハドンとアシュルバニパルは,モアブの王が自分たちに服従していると述べています。(「古代近東テキスト」,J・プリッチャード編,1974年)
西暦前7世紀、預言者エレミヤは,モアブがネブカドネザル王の率いるバビロンによって攻撃を受けることを示しました。(エレミヤ 25:8,9,17,21)


 ユダヤ人の歴史家ヨセフスは,エルサレムが荒廃してから5年目にネブカドネザルが戻って来て,コイレ・シリア,アンモン,モアブに対して戦かったと書いています。(ユダヤ古代誌,X,181,182 [ix,7])


 モアブの荒廃に関する考古学上の証拠について,「注釈者の聖書辞典」は次のように述べています。「考古学的踏査により,モアブは前6世紀の初めごろから大幅な人口の減少を見,多くの場所では前8世紀ごろから人口が減少していたことが分かった。」(G・A・バトリク編,1962年,第3巻,418ページ)
また、預言者エレミヤはモアブの諸都市がだれも住む者のいないただの驚きの的となると預言しました。(エレミヤ48:9)また、冒頭の聖句のように、モアブの高ぶりのために、モアブが滅ぼしつくされるということを預言しました。(エレ 48:42)その預言も正確に成就しました。幾世紀も昔にモアブ人は一民族としては存在しなくなりました。今日では,モアブの都市であったと考えられている廃墟がカラク高原地域に残っているにすぎません。聖書の預言はモアブに関しても正確に成就していることが分かります。

 もし、そうなら、現代に関する聖書の預言も信頼できるのではないでしょうか。私たちは聖書の預言を真剣に検討すべきではないでしょうか。