ヨブ31章・続・ポルノはなぜいけないか

「契約をわたしは自分の目と結んだ。それゆえ,どうしてわたしは自分が処女に対して注意深いことを示すことができようか。」(ヨブ31:1)


ヨブは模範的な神の僕であり、模範的な夫でした。安定した結婚生活を危険にさらしたいと思っていませんでした。では、ヨブは未婚者に対してどのような態度をとったでしょうか。上記のように述べています。それで、ヨブはあたかも自分の目と契約を結んでいるように、未婚者に対して性的な関心を抱いて見つめることのないように決意していました。


そのためにヨブは自分の結婚関係を守ることができ、試練のあとに妻との間に十人の子供をもうけ、幸福な家庭生活を送ることができました。


ヨブは今日であれば、若い未婚女性のポルノの写真や映像なども、避けていたということになります。ヨブは、結婚関係にない異性を性的な関心を持って見ることの影響を自覚していたという点で、慎重であり、道徳的に貞潔であったと言えます。


エスも、ヨブと同様の趣旨のことをことを述べています。イエスは、「女を見つづけてこれに情欲を抱く者はみな,すでに心の中でその[女]と姦淫を犯したのです。」と助言されました。(マタイ5:28)イエスの言葉は、姦淫というのは、最初に既婚や未婚の異性に対して性的な関心を抱いて見続けることがきっかけになるということを示唆しています。


実際、イスラエルの王ダビデが人妻のバテシバと姦淫を犯したのも、バテシバが裸で水浴していたのをダビデが目撃して、目をそらさず、情欲を抱き続けたのが、原因になりました。(サムエル第二11:2)


ポルノは結婚関係にない異性に対して性的欲望を強めることになるので、実際の淫行、レイプや婚前交渉、姦淫つまり不倫などの原因となります。それは、家庭を破壊することになります。それで、聖書は結婚関係にない異性に対して、性的な欲望を育むポルノを避けるように勧めていると言えます。