啓示20章・二種類の復活

「彼らは生き返り,キリストと共に千年のあいだ王として支配した。(残りの死人は千年が終わるまで生き返らなかった。)これは第一の復活である。第一の復活にあずかる者は幸いな者,聖なる者である。これらの者に対して第二の死は何の権威も持たず,彼らは神およびキリストの祭司となり,千年のあいだ彼と共に王として支配する。)(啓示20:4〜6)


 聖書は二種類の将来の希望があることを示しています。啓示の書に第一の復活という言葉が出てきます。この言い方は、二種類の復活があることを示唆しています。第一の復活にあずかる人は、神およびキリストの祭司となり、千年のあいだキリストと共に王として支配します。彼らは天に復活して王また祭司となります。


 パウロは天への復活についてこう述べています。「死人の復活についてもこれと同じです。朽ちる様でまかれ,朽ちない様でよみがえらされます。・・・ 物質の体でまかれ,霊的な体でよみがえらされます。・・・肉と血は神の王国を受け継ぐことができず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはありません。」(コリント第一15:42,44,50)それで、聖書は神の王国を受け継ぐ人は、塵で造られた物質の体で死んで、朽ちることのない不滅の霊的な体で、天へ復活するということが分かります。


 そして、天へ復活する人は限られた人数です。聖書は、「神は,世に関しては貧しい者を選んで信仰に富ませ,ご自分を愛する者たちに約束された王国の相続者とされた」と述べています。(ヤコブ2:5)それで、天の王国の相続者となるのは選ばれた人ですから、その人数は限られています。


 フィリピ3章11節から、パウロは「死人の中からの早い復活」を追い求めていたことが分かります。ですから、天へ復活する人たちは他の人たちよりも早く復活します。ですから、第一の復活の人たちよりも時期において遅く復活する人たちがいることが分かります。


 遅く復活する人たちはどこへ復活するのでしょうか。箴言14章28節には、「民の多いことには王の飾りがあ(る)」と述べられています。王がいるなら、王が支配する民がいるはずです。そして民はふつう王よりもかなり数が多いものです。啓示5章10節には、天の王たちは「地に対し王として支配する」と述べられています。それで、地には王たちの支配を受ける大勢の民がいるはずです。(詩篇102:19,22)


 それから、パウロは「義者と不義者との復活がある」と述べました。(使徒24:15)不義者は天へ王として復活することはありません。不義者は地上で天の王たちの支配を受けて罪を取り除いてもらうために復活してきます。ですから、天へ復活する者たちより遅く地上に復活してくる支配を受ける民がいることが分かります。


 聖書は地上に復活してくる人々が、地上で永遠の命を受ける見込みがあることを示しています。イエスは「記念の墓の中にいる者がみな,彼(イエス)の声を聞いて出て来る時」が来ることを予告され、「良いことを行なった者は命の復活へ,いとうべきことを習わしにした者は裁きの復活へと出て来る」と言われました。(ヨハネ5:28,29)イエスが言及されたのは天への復活ではありません。


 なぜなら、天へ王として復活する者たちは不滅の霊者として復活するのですから、もう死ぬことはありません。ところが、イエスは復活して裁きを受ける人がいることを示しています。裁きを受けるのは、地上に復活してきて、ある程度、聖書の教育を受け、天の支配から益を受けて、それでも、それに応じない人たちが裁きを受ける可能性があります。


 明らかにイエスは地上での復活も含めて述べておられます。イエスは、復活して裁きを受けるのではなく、命の復活という結果になる人がいると言われました。ですから、地上に復活して永遠の命を受ける人々がいるということが分かります。


 それで、エホバ神が天と地上への復活という二種類の将来の命の見込みを差し伸べてくださっていることが分かります。それらの希望はおのおのに神が与えられる希望です。私たちはその希望を喜ぶことができます。私たちの信仰はむだになることはありません。