詩篇30編・人類の大多数が天に行かないと言える理由

「わたしが坑に下るとき,わたしの血に何の益があるでしょうか。塵はあなたをたたえるでしょうか。それはあなたの真実さを告げるでしょうか。」(詩篇30:9) 


 ダビデはエホバに敵によって殺されないように敵による死から救い出してくださるように懇願しました。ダビデは死の状態をどのように描写したでしょうか。ダビデは敵から血を流されて殺される時に、塵になるとなると言いました。塵になり、エホバの真実さを賛美できなくなるので、自分を生き永らえさせてくださるようにとダビデはエホバにお願いしました。


 それで、ダビデは死ぬとエホバを賛美できなくなると言いました。当然、人は死んで、天に行き、意識が存続するわけではないことを聖書は示しています。


 エホバ神はエデンの園でアダムが罪を犯した時に、「あなたは顔に汗してパンを食べ,ついには地面に帰る。あなたはそこから取られたからである。あなたは塵だから塵に帰る」とアダムに宣告されました。(創世記3:19)アダムは創造された時に地面の塵から取られて創造されたので、死ぬと地面の塵に帰るとエホバは言われました。ダビデは創世記のこの記述を知っていたのでしょう。


 地面の塵は無生物です。つまり命を持っていません。聖書はこのように人は死ぬと、無生物になり、話すことはもちろん、何もできなくなることを示しています。


 聖書はこのように人は死ぬと地獄に行くのでもなく、天国の神のもとに行くのでもなく、無意識、無存在になることを示しています。それで、生きているということは感謝すべきことであると言えます。


 聖書はイエス・キリストが到来した時にある人々に天に不滅の霊者として復活するという見込みが差し伸べられたことを示しています。(コリント第一15:42)しかし、この希望は最初からすべての人類に差し伸べられた希望ではありませんでした。


 イエス・キリストが到来するまでは、誰も死んで復活して天に行くということはありませんでした。聖書は「実際ダビデは天に上りませんでした」と述べています。(使徒2:34)それで、ダビデも死ぬと塵になるということを述べていました。そして、人類の死者の大多数は、死んで天に上るわけではありません。


 また、聖書はイエス・キリストの到来後も、人類の大多数はダビデのように死んで天に行くのではなく、死ぬと無存在になって地上への復活を待っているということを示しています。人類の大多数は、聖書の神が再びこの地上で死者を復活させてくださるという取り決めから慰めを得られます。(使徒24:15)