マタイ24章・忠実で思慮深い奴隷とは誰ですか

「主人が,時に応じてその召使いたちに食物を与えさせるため,彼らの上に任命した,忠実で思慮深い奴隷はいったいだれでしょうか。 主人が到着して,そうしているところを見るならば,その奴隷は幸いです。あなた方に真実に言いますが,主人は彼を任命して自分のすべての持ち物をつかさどらせるでしょう。」(マタイ24:45〜47)


 天への召しを受けたクリスチャンは天へ行って後、特別な役割を果たすだけで、地上では大群衆のクリスチャンと役割は同じなのでしょうか。イエスは一部のクリスチャンが「忠実で思慮深い奴隷」として、召使いたちに食物を与えると言われました。


 忠実で思慮深い奴隷とは誰を表わしていますか。彼らはどのような務めを与えられていますか。


 忠実で思慮深い奴隷は、召使いたちに食物を与えると述べられています。これは、明らかに文字通りの食物ではありません。イエスが、「食物」という語を比ゆ的に用いることがあるということは、別の時に、「滅びる食物のためではなく,永遠の命へとながく保つ食物のために働きなさい。」と言われたことから分かります。(ヨハネ6:27)それで、滅びる食物とは別に、永遠の命へと導く比ゆ的な食物があります。


 コリント第一10章3,4節には、モーセの律法に耳を傾けたイスラエル人が、「みな同じ霊的な食物を食べ,みな同じ霊的な飲み物を飲みました。」と述べられています。それで、文字通りの食物ではなく、命をもたらす心の滋養物となる霊的食物があります。


 それで、忠実で思慮深い奴隷が召使に食物を与えるというのは、イエスもされたように神のみ言葉聖書からの滋養物となる霊的な食物を与えるという意味です。そして、その霊的食物はそれにあずかる人を永遠の命に導きます。


 並行しているイエスのたとえ話のルカ12章42〜44節には忠実で思慮深い奴隷が、「忠実な家令、思慮深い者」となっています。それでは、家令とは誰を表わしていますか。それは、男性あるいは長老だけですか。


 コリント第一4章1節には、「わたしたちを,キリストに従属する者,また神の神聖な奥義の家令と評価すべきです」となっています。「わたしたち」というのは、天に召されたクリスチャン、キリストに従属する十四万四千人全部でしょう。パウロはすべての天的希望を持っている者が家令であると言いました。それでパウロの言葉から、キリストに従属する家令は神の神聖な奥義を研究して他の人々に知らせる責任があることが分かります。


 ペテロ第一4章10節には、「各々が受けた賜物に応じ,さまざまな仕方で表わされる神の過分のご親切を扱うりっぱな家令として,互いに対する奉仕にそれを用いなさい」と述べられています。前後の文脈を見ると、互いに対する奉仕の中には、神の言葉を語る事や奉仕をすること、もてなしをする事などが含まれています。この聖句からも、家令とは、さまざまな務めを果たす兄弟、姉妹からなる天的希望を持つ十四万四千人全体を意味している事が分かります。


 イエスは家令また忠実で思慮深い奴隷にすべての持ち物をつかさどらせると述べておられます。それで、天的希望を持っている十四万四千人全体が、つまり、天的希望を持っているなら、長老だけではなく、兄弟、姉妹全員がすべて家令として仲間のクリスチャンたちに霊的食物を分配する責任があります。また、時に応じた霊的食物を分配していることは、その人々が忠実で思慮深い奴隷であることを示していると言えるでしょう。