ヨブ4章・エリパズの言葉―廉直な人は滅びることがないか

「そこで,テマン人エリパズが返答して言った,・・・どうか,思い起こしてもらいたい。だれか罪がないのに滅びうせた者があるか。また,どこに廉直な人でぬぐい去られた者があるか。」(ヨブ4:1,7) 


 テマン人エリパズは、ヨブが災いを経験したので慰めに来たヨブの友人でした。ところが、エリパズの慰めは、ヨブにとって何らの慰めにもなりませんでした。


 なぜなら、ヨブは何の罪も犯してはいませんでした。ヨブは神を恐れ、廉直で悪から離れるように最善の努力を払っていました。(ヨブ1:8)ヨブが苦しみを経験していたのは、ヨブに隠された不義があったからではありませんでした。ヨブの苦しみは、サタンがもたらした苦しみでした。実際は、サタンがエホバに対してヨブの忠誠に対して疑問を投げかけたので、エホバはサタンがヨブを攻撃することを限定的に許されたのでした。


 ところが、エリパズは冒頭の聖句のようにヨブに述べました。エリパズの言葉は、ヨブが罪を犯しているゆえに苦しみを経験していることを示唆していました。


 私たちは公正の感覚のゆえにエリパズの言葉のようであることを望むかもしれません。つまり、罪がないなら滅びうせることはなく、廉直な者は、決してぬぐい去られることはないということを、私たちは望みます。しかし、事実はそうではありません。エリパズの言葉は間違っていました。


 たとえば、聖書中の例をあげれば、アダムの息子アベルは何の罪も犯さずに、ただその信仰と神への犠牲が神に喜ばれたために、それをねたんだ兄のカインに殺されました。(創世記4:5,8)また、ナボテはモーセの律法に従ってぶどう園をアハブに譲らなかったために、アハブとイザベルの邪悪な企みによって殺されてしまいました。(列王第一21:3,13)聖書の中には、他にも罪も無いのに、殺されてしまった人の例が数多く書かれています。


 それで、事実はサタンの支配する今の世界では、罪のない廉直な人が殺されてしまったり、災いを経験したりすることがあるのが現実です。


 エホバは、最終的には、エリパズの言葉のようにされますが、そうなるためには、私たちはこの事物の体制が終わり、神の千年王国が到来するのを待たなければなりません。それで、今の時代はエリパズの言葉の通りではありません。


 しかし、エリパズは事実を踏まえず、ヨブが災いを経験したのは、ひとえにヨブに罪があるからだとしたので、神の前に罪を犯さないように最善の努力を払っていたにもかかわらず、苦しんでいるヨブの苦しみを増し加えてしまいました。


 私たちは他の人が様々な災いで苦しんでいるのを見るとき、単純にその人の罪のせいだと言って、そうした人の苦しみを増し加えることのないようにするべきです。かえって、出来る場合には、そうした人に実際的な援助を与えて、苦しみを和らげることをするべきです。