マタイ16章・イエスはご自分の死と復活を予告された

「その時以後,イエス・キリストは,ご自分がエルサレムに行って年長者・祭司長・書士たちから多くの苦しみを受け,かつ殺され,三日目によみがえらされねばならないことを弟子たちに示し始められた。」(マタイ16:21) 


 ある人は、イエスはご自分の意に反して殺されて、神のご意志を十分に行なうことができなかったと考えています。しかし、福音書の記録から、イエスの宣教について調べるとイエスは少なくとも三度、ご自分が殺され、三日目に復活することを予告されています。ですから、イエスが死ぬことは、神のご意志であり、そのことをイエスも受け入れておられたことが分かります。 


 最初は、イエスの死まで、9ヶ月か10ヶ月の頃のことです。弟子たちがイエスは神の子、キリストであるという認識を表わしました。(マタイ16:16)するとイエスは、キリストであるということを他の人に言ってはいけないと言われ、冒頭の聖句のようにご自分が苦しみのうちに、殺され、よみがえらされることを予告されました。(マルコ8:31。ルカ9:22)


 また、次には、ガリラヤで弟子たちに次のように言われました。「人の子は裏切られて人々の手に渡されるように定められています。そして人々は彼を殺し,三日目に彼はよみがえらされるでしょう」。(マタイ17:22,23。マルコ9:31。ルカ9:44)


 最後に、西暦33年の春、イエスエルサレムに過ぎ越しの祭りのために上ろうとするにあたり弟子たちを備えさせるために、ご自分が経験することを次のように予告されました。 「ご覧なさい,わたしたちはエルサレムに上って行きます。そして,人の子は祭司長や書士たちのもとに引き渡され,彼らはこれを死罪に定め,ついで,これを愚弄し,むち打ち,かつ杭につけるために諸国民[の者たち]に引き渡すでしょう。そして,三日目に彼はよみがえらされます」。(マタイ20:18,19。マルコ10:33,34。ルカ18:32,33)


 イエスは、ダニエル書の預言にメシアの宣教期間が三年半であり、その時が終わるとメシアが断たれると予告されていることをご存知でした。(ダニエル9:26,27)そして、それは、人々の罪を贖う犠牲となるためでした。(ダニエル9:24)


 イエスは、ご自分について、「自分の魂を,多くの人と引き換える贖いとして与えるために来た」と言われました。(マタイ20:28)それで、イエスは、ご自分が贖いの犠牲として命をささげ、殺されなければならないことを受け入れておられました。ですから、イエスが苦しんで殺されることは、決して、神のご意志に反していたわけではありませんでした。


 イエスが苦しんで杭の上で死ぬことを受け入れておられたことは、イエスの次の言葉からも分かります。イエスはご自分について、「自分の魂をなげうつ」と言われ、また、「わたしはそれを自分からなげうつのです。」と言われました。(ヨハネ10:17,18)イエスは、逃げようと思えば逃げられましたが、自発的にご自分を人々に引き渡され、殺されるにまかせました。


 私たちは、イエスが首尾よく人類のための贖いの犠牲となってくださって、神のご意志を行なうことに成功され、三日後に神により復活させられたことを喜ぶことができます。イエスが成功されたので、私たちはイエスの贖いの犠牲により、永遠の命の希望が開かれています。イエスが苦しみの杭の上でなくなったことは、失敗したのではなく、神のご意志を首尾よく行なって、勝利を遂げられたのです。