神の僕は政治の権威に対しどのように振舞うか

「もし,王にとってそれが確かに良いと思われるのでしたら,またもし,この僕がみ前に良い者と思われるのでしたら,私をユダに,私の父祖の埋葬所の都市に遣わし,これを建て直させてくださいますように」(ネヘミヤ2:5)


 政治の権威の人に対して神の僕は過去においてどのように行動しましたか。


 ネヘミヤは、ペルシャの王の献酌官でした。ネヘミヤは上位の権威に仕える立場にありました。ネヘミヤはエルサレムの城壁が崩されて窮状にあることを知った時、冒頭の聖句のようにペルシャの王に状況を知らせて協力をお願いしました。ペルシャの王は協力しました。(ネヘミヤ2:4,5,6,8)


 エズラペルシャの王に対してどのように行動しましたか。エズラペルシャの王アルタクセルクスの時に、王にエホバの崇拝に関連してお願いをしてみなかなえられたとされています。ペルシャの王アルタクセルクスはエホバの崇拝のために物質的な協力さえしました。(エズラ7:6,27,28)


 エステルはペルシャの王に対してどのように行動しましたか。ペルシャの王アハシュエロスの王妃のエステルは、エホバの崇拝とユダヤ人が危険にさらされた時、エホバに祈って王に状況を知らせて、ユダヤ人が守られるようにお願いしました。(エステル7:3,4)王は良心に動かされて、しかるべき法律を制定して、エホバの崇拝とユダヤ人のために行動しました。ペルシャは法律を重んじる政府でした。(ダニエル6:8)


 ダニエルはバビロンの高官に対してどのように行動しましたか。ダニエルは捕らわれになっていたバビロンで、モーセの律法の要求を守れるようにバビロンの高官に繰り返しお願いしました。高官は彼の願いを受け入れ、ダニエルと三人の友は、モーセの律法の要求を守る事ができて、バビロンで良い立場を得るという結果になりました。(ダニエル1:8,14,15,20)さらに、ダニエルはバビロンとペルシャの王たちにどちらにも敬意をもって接しました。


 使徒パウロは政治の権威に対してどのように行動しましたか。パウロは上位の権威のユダヤ人の王やローマ政府の代表者である総督に、敬意を払いながら証言しました。すると、上位の権威の人たちは、パウロが死やなわめに値することは何もしていないので釈放に値するという客観的な判断を下しました。(使徒26:30〜32)パウロの証言はローマ政府のクリスチャンに対する迫害をある程度は抑制するものになったかもしれません。


 政治の権威の人に対して証言して、必ず良い結果があると言えるでしょうか。ステファノがエルサレムのサンヘドリンに証言した時は、エルサレムでクリスチャンに対する迫害が起きました。(使徒7:60、8:1)


 パウロエルサレムのサンヘドリンに証言しました。それは西暦56年頃のことと思われます。サンヘドリンの中でパウロの側を擁護する人が現われて、サンヘドリンは分裂しました。けれども、その時真理を受け入れる人はなかったようです。それで、その時は、上位の権威のサンヘドリンに対する証言は少ししか良い結果をもたらしませんでした。


 どうしたら政治の権威との関係において最善の結果を得られますか。上位の権威はクリスチャンではないので、神の律法を全部守っているとは言えないでしょう。それで、神の僕が政治の権威に対してお願いしたり、証言したりする時に、結果はさまざまであることが分かります。


 それでも、過去の神の僕が上位の権威に対してどのように行動したかという記録は、上位の権威に反抗したり、転覆したりしようとするのではなくエホバに祈りつつ敬意を払って繰り返しお願いすることによって、最善の結果を得られるということを示しています。