良心的兵役拒否に対する迫害の歴史


 聖書に従って良心的兵役拒否をする人々は、過去から現代に至るまで迫害を受けてきました。


 西暦12世紀の終わりごろ,フランスの裕福な商人であったピーター・ワルドは,ワルドは,商売をやめて福音伝道に生涯をささげました。ワルド派と呼ばれた追随者たちは,ワルドの手本に熱心に従うよう努力し,二人ずつ組んで人々の家々を訪ねて伝道しました。彼らは熱心に聖書を研究して,初期キリスト教の信条や慣行に戻ることを唱道し、実際の武器の使用を退けていました。ワルド派はカトリックから大々的な迫害を受けました。


 西暦15世紀、元フス派の幾つかの小グループにワルド派のグループも加わって、ボヘミア北東部の谷間に行き,「一致兄弟団」という新しい宗教共同体を築きました。彼らは、イエス使徒たちにより示された模範に倣うよう努めました。兄弟団は軍務に服することも武器を取ることもしませんでした。少数派の指導者の一人は鞭で打たれ、やけどを負わされました。その後、少数派のメンバー3人が火あぶりの刑に処されました。


 イギリスでは、第一次世界大戦時の、1916年、兵役法という徴兵制を定めた法律が施行されました。召集に応じないと、兵役免除審査局に行かなければなりませんでしたが、合計で1万6500人が良心的兵役拒否者として登録しました。その中で、1200人は軍隊とは独立した組織のクエーカーによるフレンド会野戦病院隊で働きました。約50人は死刑の宣告を受け、その後減刑されました。また大勢が刑務所でひどい扱いを受けて入院しました。このうち、少なくとも10人が不幸にも、病院で亡くなりました。わかっているだけで31人が重い精神病をわずらいました。第二次世界大戦時には、良心的兵役拒否者として登録した人は6万人以上にのぼりました。


 アメリカ合衆国では、南北戦争1860年−1865年)の頃から良心的兵役拒否が見られます。リチャード・C・アンダーソンの調査によると、第二次世界大戦中、全米で再洗礼派やメノー派、クエーカー教徒などの平和教会が兵役を拒否し、約一万二千人が、兵役の代替業務である市民公共サービスに従事したということです。米国では,クリスチャンの奉仕者として兵役を免除されたエホバの証人も多くいましたが,選抜徴兵法の免除規定が適用されなかった他の4,300人を超える証人たちは逮捕され,最高5年の刑期を言い渡されました。また、その時、他の宗教グループで投獄された人も合わせて約1,000人いました。


 エホバの証人第二次世界大戦中に特にドイツで中立の立場ゆえに厳しい迫害を受けました。歴史家のブライアン・ダンはこう述べています。『エホバの証人はナチズムと相いれなかった。ナチが彼らに反対した理由の中でも特に重要だったのは,エホバの証人の政治的中立の立場であった。それは,信者であればだれも武器を取ることはできず,公職に就くことも,公の祝祭に参加することも,忠誠を表わすいかなるしぐさをすることもできないという意味であった』。(「大虐殺に対する教会の反応」,1986年)


 さらにポール・ジョンソンは自著「キリスト教の歴史」の中で,ドイツのエホバの証人について、「多くの人々は兵役に就くことを拒否したため,死刑を宣告されるか……さもなくばダハウや精神病院で最期を遂げた」と書いています。


 ドイツでは,どれほど多くの証人たちが投獄されたのでしょうか。ドイツのエホバの証人は,6,262人の証人が逮捕され,そのうち2,074人が強制収容所に送られたと発表しました。


 初期クリスチャンの例に倣って良心的兵役拒否を行なうクリスチャンが現代にも存在します。エホバの証人は戦時中にその良心的兵役拒否の立場のため全世界で迫害を受けました。


 聖書は将来全世界で武器を取って戦うように強い圧力が加えられることを預言しています。私たちは平和な時に、そういう圧力が加えられた時には、どんな立場を取るか前もって決定しておくことができます。


〔参考文献〕

臆病者と呼ばれても M・セジウィック 2004年 株式会社あかね書房