サムエル第二14章・人間的な感情に訴えるヨアブの助言

「『そして王のもとに行き,このような言葉を語るように』。そうして,ヨアブは彼女の口に言葉を置いた。」(サムエル第二14:3) 


 ヨアブは、上記のように女に語らせる言葉を与え、ダビデのもとにやりました。それは、兄のアムノンを殺して逃げたダビデの息子アブサロムをダビデのもとに連れ戻すようにという助言でした。ところが、ヨアブが女の口に授けた言葉はモーセの律法を考慮して考え抜かれたものではありませんでした。ただ自分の息子をいとおしく思うダビデの人間的な感情に訴えるものでした。ヨアブの助言は人間的な感情に訴えるものだったので、一見して良いものであるように見えたことでしょう。


 しかしながら、アムノンは異母姉妹のタマルを犯したのですから、厳密にモーセの律法に従うならば、近親相姦を禁じたモーセの律法に従って死に処せられるべきでした。(レビ18:9,29)


 ところが、ダビデは自分が人妻のバテシバと姦淫を犯してエホバ神に許されていたので、淫行に関するモーセの律法を厳格に当てはめることが難しかったのかもしれません。また、ダビデは息子のアムノンに対する愛情に動かされていたものと思われます。また、ダビデはそのことについてエホバ神に対処を伺うこともありませんでした。


 それで、妹のタマルをレイプしたアムノンはそのままにしておかれました。その結果、アブサロムが異母兄弟のアムノンを殺して逃亡することになりました。アムノンを殺したアブサロムの処置はモーセの律法に調和していたかもしれません。ただアブサロムは裁き人に頼るのではなく、個人的に行動していました。


 しかしながら、エホバ神とその律法を度外視して、ただ親の子に対する感情に訴えてアブサロムを連れ戻すようにヨアブは助言しました。長い目で見て、ヨアブの助言はどんな結果になったでしょうか。ヨアブの助言は、アブサロムの不満をつのらせ、最後には、アブサロムがダビデに反逆することになりました。そしてダビデは苦しい目に遭う結果になりました。それで、ヨアブの助言はダビデに助けになりませんでした。


 人の助言は人間的な観点から、良いように思えても、神の律法を尊重して考え抜かれたものでないなら、苦しい結果を招く場合があることが分かります。人の助言は人間的な普通の感情に従うように勧める助言は一見して良いものに見えます。けれども、神の律法に即した助言でなければ、結果は悪いことでしょう。


 クリスチャンは今日モーセの律法の下にいません。クリスチャンは昔のイスラエル人と比べたら、比較的数少ない神の律法を守ることが必要です。人の助言が神の律法や原則に則しているかどうか、良く見極めるのが賢明だと言えます。