マラキ2章・結婚の絆をどのように守るか

「エホバ自身,あなたとあなたの若い時の妻との間について証しをする者となったからである。それはあなたの伴侶,あなたの契約の妻であるにもかかわらず,あなたはこれに対して不実な振る舞いをした。・・・あなた方も,自分の霊に関して自らを守り,自分の若い時の妻に対してだれも不実な振る舞いをしてはならない。」(マラキ2:15)


 現代は以前よりも、離婚が容易になっています。また、結婚関係に不忠実な行為も多くなっています。また、心の中で、配偶者に不忠実になるだけだったら大目に見られるべきだと考える人も多くなっています。聖書はそのことについて何と述べているでしょうか。


 イスラエル人の中には、若い時に結婚契約にはいった妻が年を取った時に不実にも見捨ててしまう男がいました。長年連れ添った妻が年老いた時に、妻を離婚して若い異国の妻を娶りました。(マラキ2:11)
それは、エホバ神に対して不忠実な行為でした。なぜでしょうか。神が男と、男の若い妻との間で証しする者となられたからです。それは、神は男と女が結婚関係に入った時、その契約を成立させるときの立ち会い証人となったという意味です。エホバ神は結婚制度の創始者であられます。(マタイ19:4,5)それで、エホバ神は実際すべての結婚関係が成立する時の証人となっておられます。


 ところが、あるイスラエル人は結婚関係が成立した時の誓いを破り、結婚という契約に関して不忠実な振る舞いをしました。それは、神に対しても、不忠実な振る舞いでした。夫たちの不実な振る舞いのゆえにエホバの祭壇は裏切られた妻たちの涙や泣き悲しみや嘆息で覆われました。(マラキ2:13)エホバ神は女性の感情に敏感な方です。


 では、自分の霊に関して自らを守るとはどういう意味でしょうか。聖書は、人の感情や内面の性向や衝動という意味で、「自分の霊」という語を用いています。そして、人が自分の霊にせき立てられたり、自分の霊をさらけ出したりすることについて述べる一方、自分の霊を制したり、抑制したり、穏やかに保つことを勧めています。(箴言16:32;25:28;29:11。伝道の書7:9)


 それで、自分の霊に関して自らを守るというのは、妻に対して不忠実になろうとする内面の悪い性向や、性の不道徳に陥ろうとする衝動を抑制したり、妻以外の女性に対するロマンチックな感情に関して、自分を抑えることを意味しているでしょう。そのようにして、妻との結婚関係に忠実さを示し、ひいては結婚関係の創始者であるエホバ神に忠実さを示すことができます。


 それで、既婚者が自分の霊を守るというのは、単に姦淫という身体的な行為に陥らないようにする以上のことを意味します。これは、神と妻に対する忠誠という内面的な精神態度を守って、不忠実で不道徳な精神態度に陥らないようにという諭しです。聖書は配偶者以外の人に過度の注意を向けることを姦淫につながる態度として戒めていることが分かります。(マタイ5:28)それで、強い結婚の絆を維持するために、自分の霊に関して守りを固める必要性を聖書は述べています。


 マラキ2章の続く節は、神が離婚や家庭内暴力についてどのようにみなしておられるかを示しているようです。「『神は離婚を憎んだのである』と,イスラエルの神エホバは言われた。『また,自分の衣を暴虐で覆った者をも』と,万軍のエホバは言われた。『それであなた方は,自分の霊に関して自らを守り,不実な振る舞いをしてはならない。』」(マラキ2:16)


 神は聖書的根拠のない離婚を憎まれます。離婚が許される唯一の聖書的根拠は淫行です。(マタイ5:32)この聖句は、聖書的根拠のない離婚は暴虐の行ないであるという意味かもしれません。それは、たとえ身体的な暴力が関係していなくても、精神的、感情的な暴力と言えます。


 「自分の衣を暴虐で覆った者」という語についてはさまざまに解釈することができるかもしれません。これは、人に暴力を振るった時に自分の衣服に血がつくことを意味しているのかもしれません。それで、これは家庭内で、配偶者に対して暴力を振るうことについて言及しているのかもしれません。エホバ神は家庭内での暴力行為を憎まれます。そして、ここでも、既婚者は配偶者に関して自分の霊を守るようにとさとされています。それで、夫は妻に対して優しい内面的な優しい感情が変化してしまわないように、自分の怒りの感情を抑制すべきだと言えます。


 聖書の神は、離婚を憎まれます。そして、聖書は結婚の絆を守るために既婚者がいろいろな意味で、自分の感情を自制する必要があることを述べています。