ルカ10章・マリアは家事ではなくイエスの話を優先した

「マルタ,マルタ,あなたは多くのことを思い煩って気を乱しています。ですが,必要なのはわずかなもの,というより一つだけです。マリアは良いものを選んだのであり,それが彼女から取り去られることはありません。」(ルカ10:41,42)


 マルタとマリアはイエスや他の客のために食事の交わりを設けました。マルタが食事の準備を思い煩って気を乱していた時に、マリアはイエスの話を聞くという霊的な事柄に集中していました。


 マルタはマリアがマルタを手伝うように言ってくださいとイエスに言いましたが、イエスはマルタの言ったとおりにされませんでした。イエスはマリアは良いものを選んだと言われてマリアが料理などの家事をしていなかったのをとがめられませんでした。


 終わりの時の最終部分に生活している神の僕は聖書の朗読や研究などの霊的な事柄に時間を集中的に費やすべき必要が増し加わっていくと言えます。とりわけ神のみ言葉を教える責任がある人たちに関しては神のみ言葉の研究や祈りに時間をかける必要が増し加わっていると言えます。


 西暦一世紀、エルサレム会衆の十二使徒たちは「祈りとみ言葉の奉仕とに専念する」ため、必要ではあっても神のみ言葉の研究や祈りなどに直接に関係しない仕事はできるだけ他の信頼の置ける兄弟たちを任命してその仕事に当たらせました。(使徒6:3,4)


 使徒パウロはコリントで天幕作りの仕事をしていましたが、シラスやテモテがパウロのもとに下ってくると、パウロはひたすらみ言葉の事に携わるようになりました。(使徒18:5)パウロはシラスやテモテに協力してもらって世俗の仕事をしてもらい、必要な金銭をまかなう点で助けてもらったのでしょう。そのような協力によって使徒パウロはもっと聖書研究や奉仕に携わることができ、当時のクリスチャン会衆は霊的な面でより一層益を受ける事ができました。


 神の僕は霊的な事柄により一層集中するという初期クリスチャンの模範に見倣う事ができます。例えば、女性であれば家の家事をする事が必要ですが、それらを簡素化して効率的に行なったり、一部を家族の他の人に頼んだりして、聖書の朗読や研究により一層の時間を当てることができます。そのようにして、マリアのようにより一層霊的な益を受ける事ができます。