生来のイスラエル国家は神の民でなくなる

「『見よ,日がやって来る』と,エホバはお告げになる,『わたしはイスラエルの家およびユダの家と新しい契約を結ぶ。それは,わたしが彼らの父祖たちの手を取ってエジプトから連れ出した日に彼らと結んだ契約のようなものではない。「わたしが彼らの夫としての所有権を持っていたにもかかわらず,彼らはわたしのその契約を破った」と,エホバはお告げになる』」(エレミヤ31:31,32)


 聖書の中には、イスラエルエルサレムに関連した預言が数多くあります。それらの預言は生来のイスラエル人に成就するのでしょうか。聖書と歴史の事実を調べるならば、生来のイスラエル人は、神の選ばれた民でなくなり、聖書のイスラエルエルサレムに関連した預言の成就にあずからないことが分かります。


 生来のイスラエル人は、エホバ神から与えられたモーセの律法に不忠実になり、偶像崇拝、淫行、心霊術、殺人などに陥りました。また、霊的な淫行に陥り他の諸国家に頼りました。さらに、エホバ神によって遣わされた預言者を迫害し、その中のある者たちを殺し、最後には罪の無い神のみ子を殺してしまいました。(マタイ21:33〜41)神のみ子を受け入れたのは、一部のイスラエル人に過ぎませんでした。さらに、イスラエル人の大部分は、神のみ子イエスの弟子たちを迫害しました。そのため、国家としてはエホバ神から捨てられてしまいました。


 すでにエレミヤ記の中で、古い契約が新しい契約に替えられるという預言がありました。冒頭の聖句が示しているように、生来のイスラエル人と結ばれたモーセの律法契約は、エホバがイエス・キリストを通して真のクリスチャンと結ばれる新しい契約に取って代わられることになっていました。


 イエスは生来のイスラエル人にこう言われました。「神の王国はあなた方から取られ,その実を生み出す国民に与えられるのです。」(マタイ21:43)それで、生来のイスラエル人は、神の王国に関連した特権を自分たちだけに与えられると言う立場を失ってしまいました。イスラエル人でない異邦人に神の国に召されるという希望が差し伸べられることになりました。


 イエスは、最後の晩さんの後に、ご自分の血によってエホバとご自分の弟子たちとの間で結ばれる新しい契約が始まると言われました。「晩さんがすんでから,・・・こう言われた。『この杯は,わたしの血による新しい契約を表わしています。それはあなた方のために注ぎ出されることになっています。』」(ルカ22:20)


 それで、預言されていた通り、モーセの律法契約の代わりに新しい契約が発効しました。イスラエル人をエジプトから連れ出した日にシナイで結ばれた律法契約は終わりました。(ローマ10:4。エフェソス2:14,15)このことは、イスラエル人がエジプトから導き出された時に与えられたモーセの律法契約をクリスチャンが守る必要がなくなったことを示しています。


 さらに、イエスは地上におられた時に生来のイスラエル人が捨てられることを予告されましたが、西暦70年にローマ軍がエルサレムとその神殿を滅ぼしてしまいました。その時、祭司の家系であることを証明する記録文書も焼失してしまいました。そのため、エルサレムモーセの律法や神殿での祭司の奉仕を中心としたユダヤ教の崇拝の体制は行なうことが不可能になり、終わってしまいました。このことも、生来のイスラエル人が選ばれた神の民でなくなったことを確証するものとなりました。


 そして、パウロは生来のイスラエル人に代わって神から憐れみを示される神の民になったのが誰かを述べています。パウロは「憐れみの器とは神が栄光のためにあらかじめ備えられたもの,すなわちわたしたちであり,ユダヤ人だけでなく,諸国民の中からも召されているのです」と述べています。(ロ−マ9:6,23,24)それで、パウロは「憐れみの器」つまり、神の民は、ユダヤ人と諸国民からなる神に召されたクリスチャンであると述べました。


 それで、西暦70年に生来のイスラエル人が神から捨てられたことが明らかになった時から、聖書の中の「イスラエル」や「エルサレム」に関連する預言的な約束は、忠実な霊的イスラエルである真のクリスチャンや、霊的なイスラエル人である事を主張する不忠実なクリスチャンに成就することになります。


 今日のイスラエル共和国や今日のイスラム教の寺院があるエルサレムが聖書の預言を成就することはありません。今日のイスラエル共和国は国際連合に加盟し、エホバではなく世界の政治国家による救いに頼っています。さらに、今日のイスラエル共和国は、武器をとって戦い諸国家を軍事的に攻撃しており、神への愛や神の御言葉の成就に対する関心という動機で行動しているわけではありません。


 彼らのうち個々の人々は神に是認される真のクリスチャンになりえますが、今日のイスラエルエルサレムは、全体として神に是認されるクリスチャンでも、真の神の民でもありません。