啓示7章・大群衆は大患難から出てくる

「すると,長老の一人がこれに応じてわたしに言った,『白くて長い衣を着たこれらの者,これはだれか,またどこから来たのか。』それでわたしはすぐ彼に言った,『わたしの主よ,あなたが知っておられます』。すると彼はわたしに言った,『これは大患難から出て来る者たちで,彼らは自分の長い衣を子羊の血で洗って白くした。』」(啓示7:13,14)


 啓示7章の中で、ヨハネは、選ばれた聖なる者たちが、大患難が起こらないようにとどめているのを見ます。(啓示7:1)それから、ヨハネは、大患難が起こらないようにとどめられている間に、144000人が集められるのを見ます。(啓示7:4)それからヨハネは、だれも数えつくすことのできない大群衆を見ます。(啓示7:9)


 二十四人の長老たちの一人が大群衆の実体についてヨハネに説明します。(啓示7:13,14)二十四人の長老たちも、144000人の聖なる者たちを意味します。ですから、このことは144000人の一人が、他の144000人に大群衆の実体について解き明かし説明することを示しているでしょう。大群衆は大患難を通って来た者たちです。


 大群衆が生き残る大患難とは、何でしょうか。それは、イエスがマタイ24章21節で、「世界の初めから今に至るまで起きたことがなく」、「二度と起きないような大患難」を予告されましたが、その大患難を意味しているでしょう。それはまた、ダニエル11章40節で予告されている北の王による南の王に対する最終的な総攻撃を意味するでしょう。それはまた、緋色の野獣と十本の角によりもたらされる大いなるバビロンの滅びを意味しているでしょう。それはまた、おそらく第三次世界大戦を意味するでしょう。大群衆はその大患難を生き残るのでしょう。


 エホバの証人の発行した「ダニエルの預言に注意を払いなさい」の本によると、ダニエル11章40節の預言は北の王の領土拡張政策を意味しており、ドイツのナチや、その後を継いだソ連邦によってすでに成就したと解釈されています。しかし、まだ、北の王は兵車と騎手と多くの船とをもって南の王を強襲したとは、言えないでしょう。多くの土地に入り、みなぎりあふれて通り行くこともまだしていないでしょう。


 この預言の描写によると、それは北の王による南の王に対する一斉の総攻撃でしょう。これは、まだ起こっていません。それどころか、エホバの証人の「ダニエルの預言」の本の中にも説明されている通り、北の王の実体と考えられたソ連邦は1991年12月に解体してしまっています。現時点で成就したと考えられるのは、せいぜいダニエル11章40節の預言にある南の王と北の王による押し合いでしょう。


 私は、北の王は国際連合であるという解釈をしていますが、国際連合の中でも、中心となる国家が存在するのでしょうか。おそらく、中心となる国家が存在すると思われますが、今はそれがどこかを判断することはできません。中心となる国家が存在するとしても、しないとしても、啓示17章12,13節に預言されているように、諸国家は国際連合に権威を与えて、国際連合の下に一致結束して、南の王を総攻撃しようと考えることでしょう。


 大群衆は北の王の側にも南の王の側にも立たず、中立を保つことでしょう。(ゼカリヤ14:4,5)さらに、荒廃をもたらす嫌悪すべきものが聖なる場所に立っているのを見かけたら、山に逃げなさいというイエスの助言に従います。(マタイ24:15,16)つまり、大患難が起こる前に大群衆は山に逃げるのでしょう。彼らはだれも数えつくすことのできないほど数の多い国際的な大群衆となるのでしょう。


 さらに、大群衆は自分の長い衣を子羊の血で洗って白くしたと述べられています。ヘブライ9章4節によると、「キリストの血」はわたしたちが、「生ける神に神聖な奉仕をささげられるようにして」くださいます。大群衆は、イエス・キリストの罪を覆う贖いの犠牲に信仰を働かせて、そのために、神に神聖な奉仕をささげることができます。(ヨハネ第一2:2)


 さらに、大群衆が大患難を通って生き残ることができたのは、彼らが、自分たちの罪をイエスの贖いの犠牲により、覆っていただいたからです。大群衆は、大患難を通過して、神に奉仕を捧げられることを神に感謝することになります。それで、大群衆はイエスの贖いに基づく保護に感謝して、大患難を生き残った後も証しの業を行い続けるでしょう。(コリント第二5:14,15)また年に一度の主の晩さんに出席することにより、その感謝を表明するでしょう。(ルカ22:19)


 そして、数えつくすことのできない大群衆には最終的にどんな見込みがあるのでしょうか。詩篇にはこのような希望が記されています。「柔和な者たちは地を所有し,豊かな平和にまさに無上の喜びを見いだすであろう。義なる者たちは地を所有し,そこに永久に住むであろう。」(詩篇37:11,29)ですから、正しい心を持つ大群衆には、この地上で豊かな平和を喜びつつ、永久に生き続けるという見込みがあります。