ヘブライ3章・神が実在されるとなぜ言えますか

「言うまでもなく,家はすべてだれかによって造られるのであり,すべてのものを造られたのは神です。」(ヘブライ3:4) 


 現代社会では、進化論が強調されます。多くの人は神の存在を信じていません。私たちはなぜ、神が実在されると信じることができますか。


 あなたは美しい建物を見る時、これを建てたのは誰だろうと考えることがあるのではないでしょうか。たとえば、すばらしい歴史的建造物や、現代建築などを設計した設計者は人々の賞賛や誉れを受けるでしょう。そうした建物が、誰が建てたのでもなく、ひとりでに存在するようになったと言うことは誰も信じません。冒頭の聖句にあるように家はすべて誰かによって造られます。それは、誰でも知っていることです。


 それでは、惑星としての地球はどうでしょうか。地球は人間の生存のために太陽からちょうど良い距離にあります。その軌道上にとどまるのにちょうど良い速さで動いています。地球の大気は生命を支えるのに必要な気体がちょうど良い割合で、混じり合っており、そのような気体は地球の周囲だけにしか見られず、他の惑星には見られません。地球上には生物の存在に不可欠な水が多量にあります。太陽の光、空気中の炭酸ガス、肥沃な土壌の中から得られる水とミネラル類が、驚くべき方法で結びついて、生物のための食物を作り出しています。このすべては、無作為の作用で生じたのでしょうか。


 このように人間や生物にとって快適な環境は、この地球にしか見られません。科学者たちは私たちの太陽系の地球以外の惑星には、いまだどこにも、生命を見い出していません。手に入れうる証拠からすれば、他の惑星は、生物学的に見て不毛です。


 もし、不毛の砂漠を横断している時に、すべての点で、十分に設備が調い、食物も蓄えられている美しい家を見つけたとしたら、あなたは、その家が作り手なくひとりでに自然に出来上がったと考えるでしょうか。いいえ。誰か知恵のある人がその家を建てて、備えをしたということを認めるのではないでしょうか。


 「地球」という本が述べるとおり、惑星としての地球は、「宇宙の中の驚異であり、特異な球体」です。私たちは家がすべて誰かによって造られることを認めます。そうであれば、このように生物に都合の良いあらゆる環境が整っているこの地球も、作り手が存在することを認めるべきではないでしょうか。


 聖書には、創造者がこの地球を「人が住むために形造られた」ということが述べられています。(イザヤ45:18)この地球は、確かに、人が住むという目的に適った意図的な造りが見られます。
家がひとりでに存在することのないように、こういう地球の環境は、無作為の行為では生じないでしょう。そこには、目的をもって行為される創造者の存在が必要です。そして、地球上に見られる人間や生物が存在するのに必要な設計上の工夫は、それを設計された方に、賞賛と誉れをもたらして当然だと言えるのではないでしょうか。


 確かに、宇宙と地球を造られた全能の神が実在されるのを信じるのは、道理にかなっていると言えます。