コリント第一5章・年に一度だけ祝われる主の記念式

「実際、わたしたちの過ぎ越しであるキリストは犠牲にされたのです。」(コリント第一5:7)


 ルカとパウロによれば、イエスはご自分の死の記念式を制定された際、「わたしの記念としてこれを行ないつづけなさい」と言われました。(ルカ 22:19。コリント第一 11:24)これは,クリスチャンが記念として守り行なうように命じられている唯一の行事です。
 

 では、主の記念式は、どのくらいの頻度で祝うべきでしょうか。


 イエスは、過ぎ越しの祭りの日に、主の記念式を制定し、その同じ日に殺されました。(出エジプト記 12:14)過ぎ越しの祭りとは、西暦前1513年にエホバが生来のイスラエルをエジプトでの束縛から救出されたことを記念する祭りでした。過ぎ越しとはイスラエル人がエジプトから救出され、エホバがエジプトの初子を滅ぼした時にイスラエル人の初子を『過ぎ越された』ことを記念する祝いです。(出エジプト 12:26,27)


 その際に、イスラエル人の家では、1歳の子羊の血が、住まいの戸柱と戸口の上部に血が掛けられました。その晩、エジプトの初子はみ使いによって打たれましたが、み使いは血が掛けられているのを見た家の初子は、過ぎ越しました。


 パウロは,「わたしたちの過ぎ越しであるキリストは犠牲にされた」と述べており、パウロはキリスト・イエスを過ぎ越しの子羊になぞらえています。(コリント第一 5:7)過ぎ越しの際に犠牲にされた子羊は世の罪の許しのために犠牲にされたイエス・キリストを表わしていました。(ヨハネ1:29)


 これは、もちろん、クリスチャンがモーセの律法の過ぎ越しやその他の祭りを祝わなければならないという意味ではありません。イエス・キリストの犠牲の死によってモーセの律法は終わり、廃棄されました。(ローマ10:4。エフェソス2:15)しかし、モーセの律法はキリストに関する事柄を表わす模型的な表現また影でしたから、モーセの律法下の過ぎ越しは、キリストに関して予型また影となっています。(ヘブライ8:5)


 過ぎ越しは、年に一度だけ、ユダヤの暦のニサン14日に祝われました。(出エジプト記 12:1‐6)イエスは、モーセの律法下におられたのですから、主の記念式も、過ぎ越しと同じ頻度で,つまり,毎月とか毎週とか毎日ではなく、ニサン14日に年に一度だけ弟子たちが行なうことを意図して制定されたと考えるのが妥当でしょう。


 初期クリスチャンも、記念式を年に一度、ニサン14日に守り行なっていました。ある参考資料には,こう記されています。「小アジアのそのクリスチャンたちは,クオートデシマン[十四日教徒]と呼ばれた。いつもきまってニサン14日に過越祭<パスカ>[主の晩さん]を祝ったからであった。」―「新シャフ‐ヘルツォーク宗教知識百科事典」,第4巻,44ページ。


 ある歴史家もこう述べています。「アジアのクオートデシマン諸教会の慣習はエルサレム教会の慣習とつながっていた。2世紀にこれら諸教会は,ニサン14日の過越祭<パスカ>の時に,キリストの死によって発効した贖いを祝った」。―「教父研究」,第5巻,1962年版,8ページ。


 年に一度、イエスが亡くなられたユダヤの暦の日付に記念式を祝っているのは、エホバの証人だけのようです。今年2010年は3月30日(火)日没後に世界中で主の記念式が行なわれます。
入場は無料です。どなたでも、出席できます。どこの会衆の集会に出席しても、イエス・キリストの贖いの犠牲の意義に関する話を聞くことができます。


 また、イエスの体を表わす無酵母パンとイエスの犠牲の血を表わすぶどう酒が集会の出席者すべてに回されます。初めて出席した方は、パンとぶどう酒にあずからないでただ隣の人に回すことができます。パンとぶどう酒にあずかるのは、エホバ神に選ばれ、天への召しを受けている人だけです。


 皆さんが、主の記念式に出席されるよう、ご招待したいと思います。