近親相姦―隠れた犯罪

下記の記事は目ざめよ!1981年5月8日号「近親相姦―隠れた犯罪」からの抜粋です。

近親相姦―隠れた犯罪
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周知の通り,近親相姦とは近い親族間の性行為です。いつも報告されるわけではありませんが,こうした行為は血のつながった兄弟・姉妹の間で数多く行なわれている模様です。当局が特に関心を持っているのは,子供が,成人した親族から性的な暴行を受ける場合です。多大の関心を呼んでいる,そして恐らく報告された事例の大半を占めていると思われるのは,子供たちが自分の父親,ないしは義父から性的ないたずらをされる場合です。


問題は本当に広まっているか


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今日の米国には幼年期に近親者から暴行を受けた女性が2,500万はいると考える人もいます。様々な報告の示すところによると,他の多くの国々でも,同じ問題が増加しています。


この問題に関心を持つべきか

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あなたがクリスチャンなら,近親相姦について関心を持つべきであることはよく知っておられます。近親相姦に関してどんな人間の見解よりもはるかに重要なもの,つまり神の見方はイスラエル人に対して非常に明確に示されました。「あなた方は,すなわちあなた方のうちのだれも自分の身近な肉親に近づいてその裸をさらしてはならない」。どんな関係が禁じられているかも具体的に示されており,それには兄弟姉妹間,親子間,おじとめい,おばとおいなどの関係が含まれています。―レビ 18:6‐18,新。


近親者による暴行を受けた子供たちの経験も,わたしたちが関心を持つべきであることを示しています。


子供はどうなるか


ある婦人はオーストラリアン・ウイミンズ・ウィークリー誌に手紙を寄せ,幼年時代の近親相姦が原因で,10歳のころから幾度も自殺を試みたと述べています。成長してから,通常の性関係を持てなくなってしまった人もいます。


父親にいたずらをされた3姉妹のうちの一人は,次のように書きました。「この問題が気にならなくなり,わだかまりなく話せるようになるためには,10年という時間と夫からの多大の援助が必要でした。その影響は人によって違います。姉は,性とは世界で一番汚らわしいものと考えていますし,妹は全く気に留めていません。妹は14歳で売春の罪に問われ,15歳の時にはもう子供がいました」。


売春婦,麻薬の乱用,強姦(男子の場合),アルコール中毒,反抗的な態度,感情的な動揺,これらすべては近親相姦の産物です。ある幼い少女は,神を自分の天の父として考えることができませんでした。実の父親との近親相姦の関係によって,この子は父親というものすべてに幻滅してしまったのです。


近親相姦によって,強姦以上の激しい感情的な動揺が起こり得るのはなぜでしょうか。なぜなら,いたずらをした人は非常に親密で重要な関係に付け込んでいるからです。ある少女は,自分が娘というより妻に近く,自分は父親の性的欲望を満足させるために存在するにすぎないという感想を漏らしています。


別の犠牲者の説明を考慮してみましょう。「恐ろしくて,自分の身に起きていることをだれにも言えませんでした。こわくて逆らえませんでした。何と言ってもその人はわたしの父親であり,父親は許されていないことは何もしないものです……十代になるに及んで,事態はどんどん悪化してゆきました。私は事情をよく理解できるようになりました。自分は汚れた安っぽい,くだらない人間のように感じられました。
何度自殺を考えたことでしょう。そして私は男の人を憎みました。……あのことが始まったのはまだ私が小さい時だったことは分かるのですが,結局私の過ちだったという考えを拭い去ることができないのです……もてあましているのは暴行を受けた事実よりも罪の意識です」。



ではなぜ行なうのか


近親相姦に走る大人の中には精神病者もいます。しかしほとんどの人はそうではありません。外見はりっぱな家庭人であり,職場や社会の指導者であり,りっぱな教会員であることもあります。


このように“普通の人”が近親相姦という過ちを犯すのはなぜでしょうか。アルコールを飲んで自制心を失うことも関係しています。時折,ある男子はすでに子供のいる女子と結婚します。継子が長ずるにつれて,父親が性的な誘惑を感ずる場合があります。


家族の問題も絡んでいます。ハンク・ジアレットは次のように述べています。「それは大抵,男が仕事を失ったり,人生の最低の時期を経験したりしている時である。夫と妻の仲は疎遠になる。父親は自分の娘に目を向け,親しい関係を求めようとする。娘は父親に対して何のわだかまりも持たず,父親を愛し,父親は偉大だと考える。最初の序曲は性的なものではない」。


それ以外の理由もあることでしょう。ある近親相姦の犠牲者の話によると,家の中にはいつもポルノの本が置いてあったと言います。ジアレットはこう付け加えます。「これが我々の社会の性的な風潮であり,それが問題を生じさせる一因となっている。我々は娘たちに,2歳のころから,ロリータや性的な挑発者になることを教えている」。


子供との近親相姦という過ちを犯す成人は,利己的な精神を表わしています。その人は子供の福祉に全く関心を示していません。しかし,“自分のしたいことをする”ように促し,ポルノに子供を登場させるなどの倒錯を助長している世界において,近親相姦の件数が上昇していても何の不思議があるでしょうか。


未然に防ぐことはできるか


確かにできますが,そのためには一人一人が悪化するこの世の道徳の風潮に抵抗する確固とした精神的立場を定めなければなりません。その面で,聖書の中にある助言以上に良い助言はありません。


使徒パウロは,「自分をこの事物の体制に合わせてはなりません。むしろ,思いを作り直して自分を変革しなさい」と述べています。(ローマ 12:2)そうするためには,道徳的に汚れた本や娯楽を避け,わたしたちが絶えずさらされている汚れた影響を思いの中から締め出さなければなりません。このようにして,わたしたちは間違った行動に慣らされないようにするのです。


近親相姦の犠牲者となったある人は,子供たちの局部は他の人が遊ぶためのものではないことを早い時期から子供に教えるようにと勧めています。これは,「わたしの聖書物語の本」 という出版物のデナの話などを用いて,愛のある方法で行なえます。そうしていれば,万一,性的ないたずらに類することがあったときでも,子供はすぐにそれを父親か母親に話せます。


性的ないたずらとは必ずしも性交のことではないことを忘れないでください。愛撫,“触れること”,性的に親密な不義の行為,性的な遊びなどはいずれも,後になって大きな傷跡を残すことがあります。
真の防御策となるのは両親の大きな愛です。「愛は……みだらなふるまいをせず,自分の利を求め(ません)」とパウロは述べました。(コリント第一 13:4,5)


この利他的な愛があれば,親は肉的な弱さに屈して,子供に対し間違った行動を取るようなことは避けられるでしょう。同時にそれは,もう一つの問題を未然に防ぐものともなります。子供が思春期に達するころ,親たちは時として近親相姦的な関係に陥ることを恐れ,冷淡で疎遠な関係になることがあります。もちろんこれも,成長期にある子供を害することです。


問題に対処する


近親相姦があった場合の対処の仕方は簡単ではありません。それは隠れた犯罪なのです。家族は多くの場合それを隠そうとします。“何かが起こっている”ことを悟った母親は家の中をかき回すことを恐れ,見て見ぬふりをするかもしれません。子供が両親に知らせた場合でも,告訴しないように強い圧力を加えられることがあります。それでも,多くの専門家たちの経験によると,子供が近親相姦についてうそをつくことはあまりありません。


性的ないたずらをした者にとって刑務所は常に解決策となるわけではないという意見もあります。そのため,こうした家族全体を扱う相談所が幾つか設けられています。


ハンク・ジアレットは,それらの家族を扱う際の最重要と思える事柄について説明し,次のように述べています。「[父親]は娘の問題に立ち向かい,どんなことが起こったとしても全面的に責任を受け入れなければならない」。父親にとっては難しいことかもしれませんが,そうすることによって,子供に加えられた害を少しでも取り除くことができます。


部外者も助けを与えることができます。忍耐強く思いやりのある,また利他的な世話によって感情的な動揺を克服し,将来のことを計画できるようになったと述べる犠牲者は少なくありません。傷跡が完全に消えることはないかもしれませんが,粘り強くこのことを行なうなら,少なくともその記憶は次第に薄らいでゆくことでしょう。


別の援助の源


では,この記事の冒頭にある質問を投げかけた近親相姦の犠牲者についてはどうですか。この人は6歳から9歳までの間,祖父からいたずらをされました。不道徳行為や麻薬に手を出し,精神科医にも診てもらいましたが,それらの方法で惨めな状態から解放されることはありませんでした。


幸いなことに,こうした人にも助けはあります。どんなに途方にくれ,“意気消沈”していようと,「低い立場にある者を塵の中から救って立ち上がらせておられる」方がいらっしゃいます。その方については,聖書を通して知ることができます。(詩 113:7,新)その方は「優しいあわれみの父またすべての慰めの神」であられるので,どんなに憂うつな気分の人であっても助けることがおできになります。(コリント第二 1:3)


人を憂うつにし,罪の意識でさいなむ考えを取り除き,築き上げる考えを心に満たすには,多くの祈りと研究と円熟した人々との話し合いが必要です。しかしそれは可能です。次の経験はそのことを示す助けになることでしょう。


ある婦人は,非常に幼かったころ実の父親から,次いで義父から性的な暴行を受けたと語りました。この人は不道徳と麻薬乱用のふちに沈み,あげくは私生児を産むことになってしまいました。しかしこの婦人は次のように述べています。


「近親相姦,子供に対する暴行,法律上有罪とされる強姦,麻薬,同性愛などから抜け出る道はあります。これらすべてを経験したら,とても正気ではいられないと言われるかもしれませんが,生きる目的となる優れた希望があれば大丈夫です。私にはその希望があります。……私は子供の時少しも抵抗しませんでした。抵抗すればよかったと本当に思います。でもだれもかまってくれなくなること,だれからも好かれなくなることがこわくてたまりませんでした。わたしが間違っていました。本当に間違っていたのです。エホバが気遣ってくださいますし……[エホバの証人の]王国会館の長老たちも気遣ってくださいます」。


わたしたちの過去の生活史がどんなものであれ,だれでも神の観点から,『洗われて清くなり』,『神聖なものとなる』ことができます。(コリント第一 6:11)聖書にはその方法が説明されています。神はそのみ言葉と霊の力によって,わたしたちの罪悪感を取り除き,感情的な動揺を克服する道を備えてくださいます。現在の満足のゆく生活を送る助けと,近親相姦のようなことが決して起こらない世界に住める日が間もなく訪れるという確信を与えてくださるのです。