啓示3章・非三位一体(新世界訳 新共同訳 新改訳)

「アーメンなる者,忠実で真実な証人,神による創造の初めである者がこのように言う。」(啓示3:14)


 イエスは、ラオデキア会衆に対する音信の中で、ご自分を「神による創造の初めである者」と述べておられます。これは、新世界訳です。明らかにイエスは神の被造物であり、始まりのある方です。


 同じ部分を新共同訳は、「神に創造された万物の源である方」、新改訳は「神に造られたものの根源である方」と述べられており、少し分かりにくくなっています。しかしながら、新共同訳も新改訳も、ここの部分でイエスが神に造られたもしくは創造されたということを認めているようです。


 イエスについて同じことについて述べているのが、コロサイ1章15節です。そこには、新世界訳で、イエスについて、「彼は見えない神の像であって、全創造物の初子です。」となっています。同じ聖句が新共同訳では、「御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。」とあります。同じ聖句の新改訳は、「御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。」と訳されています。それで、新共同訳でも、新改訳でも、み子は生まれた方、すなわち始まりがある方であることが言い表されています。


 一方唯一真の神については、新共同訳の詩篇90編2節で、「世々とこしえに、あなたは神。」と述べられています。新改訳でも、同様に、詩篇90編2節の同じ部分を「とこしえからとこしえまであなたは神です。」と訳しています。新共同訳でも、新改訳でも、神がとこしえの存在であることを認めており、神に始まりがないことを言い表しています。


 イエスが始まりある方、神の被造物の初子であるということは、エホバ神とイエス・キリストが別の人格的存在であることを示しています。このことは、イエスを神とする三位一体という教理が間違っていることを示しています。


 さらに、イエスご自身は三位一体について何と言っておられるでしょうか。イエスは敵対者たちから、人間でありながら自分を神として神を冒とくしていると非難されたことがありました。イエスはその非難を認めたでしょうか。いいえ。イエスは「わたしが、『わたしは神の子である』と言ったからとて、どうして『神を冒瀆している』と言うのか。」と言われました。(ヨハネ10:33,36 新共同訳)


 イエスは、ご自分が自分のことを神の子と言っていると言われました。それで、イエスご自身はご自分を神であると言われませんでした。イエスご自身は三位一体を認めておられませんでした。


 ある牧師が、もし三位一体が間違っているとしたら、イエス・キリストを神でないのに、神として崇拝することによって、偶像崇拝をしていることになると言われました。その通りです。エホバは十戒の中で「あなたはわたしの顔に逆らって他のいかなるものをも神としてはならない。」と言われました。(出エジプト20:3)エホバは、イエスに対して深い敬意を示すことを求めておられますが、やはり神として崇拝するのは間違っています。


 イエス・キリストが神ではなく、神に創造された神のみ子であるという立場は、非三位一体という立場です。三位一体が非聖書的であることを理解した人々の例を挙げます。


 16世紀には、反三位一体の運動がヨーロッパで盛んになっていました。ハンガリー人のフェレンツェ・ダビドは三位一体が聖書的でないことを教えて獄死しました。16世紀から17世紀にかけて、ポーランドの小改革派教会も三位一体を否定しました。英国のアイザック・ニュートンは、三位一体の教理を否定する聖書的根拠を詳しく記していました。死後に、それが明らかになりました。


 米国では、19世紀にヘンリー・グルーが、三位一体が非聖書的であることを暴露しました。エホバの証人は、非三位一体の立場です。非三位一体の教えを奉じる人々は、他にも、ユニテリアンというグループがあり、アメリカ合衆国にはその教会があります。


 イエスは、神ではなく、神に造られた始まりのある方です。み子に始まりがあることは、新共同訳も、新改訳も認めています。み子は、エホバ神とは、別の人格的存在です。どうぞ、このことを聖書から確かめてみられてください。