詩篇19編・宇宙は神のみ手の業ですか

「天は神の栄光を告げ知らせ,大空はみ手の業を語り告げている。」(詩篇19:1)


 現代社会において神の存在を疑っている人は少なくありません。聖書の詩篇には、冒頭の聖句のような言葉があります。宇宙はみ手の業であることを示して、神に栄光をもたらしているでしょうか。


 極大のものから極微のものまで、星雲団から原子に至るまで、この宇宙は見事に組織されています。この宇宙には、少なくとも500億の星雲があります。それぞれが太陽と同じような星を幾十幾百億個も持つ星雲が少なくとも500億存在すると考えられています。これらの畏怖すべき星雲は宇宙内にでたらめに散らばっているのではありません。


 たいていの場合、それらは星雲団と呼ばれる明確なグループを成していてぶどうの房のようになっています。
 

 ひとつの星雲団の中の星雲と星雲との間の距離は、平均して百万光年あるかもしれませんが、一つの星雲団から別の星雲団までの距離は、その百倍に及ぶとも考えられています。そして、それらの星雲団そのものも整然と配列されて超星雲団となり、ぶどうの木にさがる幾房ものぶどうのようになっているという証拠さえあります。途方もなく大きく見事な構成です。


 私たちの太陽系を見ると、ここにも絶妙なまでに組織された配列が見い出されます。恒星である太陽が核となり、地球その他の惑星がその周りを数学的な法則に従って動いています。それらは、数学的確実さをもって運行しているために、天文学者はそれらが将来どの時点にどの位置にあるかを正確に予告できます。


 極微の世界、すなわち原子に目を向けるとそこにも見事な秩序と組織が見い出されます。原子は太陽系と同じような秩序を保っています。原子は、陽子と中性子からなる核を持っています。その原子核の周りを微小な電子が周回しています。すべての物質は、これらを構成素材として成り立っています。そして、物質を造り上げるすべての元素は、そこに含まれる構成素材の数に従って、整然とした順序に配列できます。


 実際、宇宙は極めて精確に組織されているため、人は天体の運行を、時を計るための基準として用いることができます。しかし、精密な時計があるなら、それは能力と技術のある時計の設計者の存在を物語っているのではないでしょうか。


 では、宇宙全体にわたって存在するはるかに複雑な設計と組織については何と言えるでしょうか。これもまた、設計者、作り手、すなわち理知を持つ人格的存在を物語っているのではないでしょうか。


 ある事業家はなぜ神を信じますかと聞かれた時、自分の工場では、一人の女子工員が肉ひき器の17の部品の組み立てを習うのに二日かかると説明しました。「私は一介の刃物類製造業者にすぎません。肉ひき器の17個の部品をたらいの中に入れて今から170億年間ゆすりつづけたところで、一個の肉ひき器が出来上がるということは決してありません」と、彼は言いました。


 地球上のさまざまな生物を含め、この宇宙は肉ひき器よりはるかに複雑で高度に組織されています。もしそのような機械が熟練した作り手なくしてはできないのであれば、この宇宙について何が言えるでしょうか。肉ひき器の部品を170億年ゆすり続けても、一個の肉ひき器もできないのであれば、170億年かけて、この宇宙をゆすり続けても、高度に組織された宇宙は決して存在するようにならないのではないでしょうか。高度に組織された宇宙には、全能の創造者の理知的な働きが必要です。


 高度に組織されたこの宇宙がひとりでにできるはずがありません。そこには、偉大な力と知恵に富む創造者の存在が必要です。確かに宇宙は神のみ手の業であることを示しており、神に栄光と誉れをもたらしています。