啓示18章・大いなるバビロンから出なさい

「また,わたしは天から出る別の声がこう言うのを聞いた。『わたしの民よ,彼女の罪にあずかることを望まず,彼女の災厄を共に受けることを望まないなら,彼女から出なさい。』」(啓示18:4)


 ヨハネへの啓示の書は緋色の野獣が大娼婦の大いなるバビロンを憎んで、滅ぼすことを預言しています。(啓示17:16)それは、イエスの予告された未曾有の大患難となるでしょう。(マタイ24:21,22)では、大いなるバビロンに住んでいる神の民はどうすればいいのでしょうか。天からの声は、大娼婦の罪にあずかることを望まず,彼女の災厄を共に受けることを望まないなら彼女から出るようにと命じています。


 神の民が大いなるバビロンにとどまるならば、大いなるバビロンの罪にあずかることになると述べられています。罪にあずかるという語は単に罪を犯すという意味ではないでしょう。テモテ第一5章22節に「他の人の罪にあずかる者となってはなりません。自分を貞潔に保ちなさい」と述べられています。それで、罪にあずかるというのは、自分以外の人の罪を負い、エホバ神のみ前で潔白を保てないという意味です。


 ですから神の民が大いなるバビロンにとどまるならば、自分自身罪を犯していなくても、流血などの大いなるバビロンの罪を負うことになってしまいます。大いなるバビロンにとどまるだけで、エホバ神のみ前で潔白を保つことができず、ある程度汚点をつけてしまいます。さらに、神の民が大いなるバビロンにとどまるならば、最終的には、彼女の災厄を共に受ける結果になります。(啓示17:16)


 大いなるバビロンの全領域から出る必要があるのでしょうか。神の民は大いなるバビロンの国外にまで出なければならないのでしょうか。大いなるバビロンの中の山々に逃れたら安全なのではありませんか。(マルコ13:14)


 聖書はソドムとゴモラは警告の例であり、来るべき事の型であると述べています。(ユダ7。ペテロ第二2:6)ソドムとゴモラは、どうなったでしょうか。エホバ神はソドムとゴモラの都市、地域の全域を滅ぼされました。(創世記19:24,25)


 また、古代バビロンはソドムとゴモラのようになることが予告されました。イザヤ13章の預言に古代バビロンについてこう預言されていました。「もろもろの王国の飾り,カルデア人の誇りの美であるバビロンは,神がソドムとゴモラを覆されたときのようになるのである。」そして預言通り、古代バビロンはソドムとゴモラのように人の住まない所となりました。(イザヤ13:19,20)今日、古代バビロンは、人の住めないがれきの山となっています。


 同様に、古代のひな型で示されたように、エホバ神は大いなるバビロンの全領域を滅ぼされるでしょう。(啓示17:16)ですから、大いなるバビロンに住んでいる神の民は、大患難を逃れるために単に山に逃れるだけでなく、大いなるバビロンの国外に出る必要があります。


 大いなるバビロンに住んでいる神の民は、他の地域の神の民よりも、積極的な行動が求められます。それで大いなるバビロンに住んでいる人々は、この預言が聖書に調和しており、信頼に値するものであるか十分確かめる必要性がとりわけ高いでしょう。