イザヤ12章・神のみ名の発音

「そして,その日,あなた方は必ず言う,『あなた方はエホバに感謝せよ! そのみ名を呼び求めよ。もろもろの民の中にその行ないを知らせよ。そのみ名の高く上げられることを語り告げよ。』」(イザヤ12:4)


 聖書の中には、神のみ名を呼び求め、語り告げるようにという命令があります。では、神のみ名はどのようなものですか。
 

 ヘブライ語では、神のみ名は四文字語で表わされます。多くの現代語のアルファベットでYHWHまたはJHWHと書き表されます。これら四つの子音字で表わされる神のみ名はヘブライ語旧約聖書の中に、7000回近く出てきます。





 実のところ、神のみ名がもともとどのように発音されたのかは確かなことは誰にも分かりません。なぜ分からないのでしょうか。聖書を書くのに用いられた最初の言語であるヘブライ語は、もともと、母音を記さず、子音字だけを用いて書かれました。古代ヘブライ語が日常の話し言葉として用いられていた間、読者は容易に適切な母音を補って読みました。しかし、やがて神のみ名を口にするのは悪いことであるとする迷信的な考えが、ユダヤ人の間に生じました。そのため聖書朗読の際、神のみ名のところにくると、彼らはヘブライ語のアドーナーイ(主権者なる主)という語を口にしました。
 

 ヘブライ語の発音全体が分からなくなってしまわないように西暦1000年紀の後半にユダヤ人の学者が母音を表わすための符号体系を考案しました。しかし、それらの学者は神のみ名が出てくると、本来の母音符号の変わりに、ほとんどの場所で代用表現に用いる母音符号をつけました。こうして、神のみ名のヘブライ語のもともとの発音はやがて忘れられてしまいました。
 

 YHWHで表わされるみ名のもともとの発音についてさまざまな学者が異なった考えを抱いています。ヤハウェとつづる方が良いという学者は少なくありませんが、しかし、それも確かではありません。エフーアあるいはヤフーアであるという人もいれば、ヤーホーであったという人もいます。また、ヤボもしくはヤフーであった考える人もいます。あるドイツの聖書学者は、他に、ヤオ、ヤベ、ヤハベ、エフバ、エホバ、ヨバという神のみ名の異なった発音をあげています。
 

 しかし、神のみ名のもともとの発音が分からないことは、真に重要なことではありません。大切なのは、わたしたちの言語で従来から使われてきた発音によって神のみ名を用いることです。なぜそう言えますか。
 

 大抵の名は一つの言語から別の言語に移し変えられると、ある程度変化します。イエスの名は、ヘブライ語で多分エーシューアと発音されたと考えられますが、真実のところ、だれにも確かなことは分かりません。霊感を受けてクリスチャンの聖書を書いた人たちは、もともとのヘブライ語の発音を残そうとするのではなく、イエスの名のギリシャ語の形であるイエースースをためらうことなく用いました。


 今日では、聖書を読む人の言語に応じてさまざまに訳されています。英語ではジーザス、イタリア語ではジェスー、ドイツ語ではエーズスと発音します。私たちはイエスのもともとの発音を知らないので、イエスという名を用いることをやめることはしません。また、イエスを師や仲介者という単なる称号で呼ぼうとは考えません。そうすることは、イエスに対する愛や敬意を表わすことだと考えないからです。私たちはその名を用いることを望んでいます。そのようにして、私たちのために命を犠牲にしてくださった神のみ子である方を示し、またその方に対する個人的な愛を表わすことができるからです。私たちは自国語で普通に用いられている形を自由に用いています。
 

 これと同じことがエホバのみ名について言えます。私たちはどうすれば、あらゆるお名前の中で最も重要なお名前を持つ方に愛と敬意を表わすことができるでしょうか。その元の発音が分からないから、その名を絶対に口にしないように、あるいは書かないようにすれば、敬意を表わせるでしょうか。そうではありません。その名を用いて、その名を所有する方をほめる方が愛と敬意を表わせるのではないでしょうか。


 エホバという発音は、厳密にはもともとの発音どおりではないとしても、幾世紀ものあいだ神のみ名として、国際的に受け入れられています。そのような理由で神のみ名としてエホバを用いることができます。これは、神のみ名としてヤハウェやヤーウェといった形を用いるのが間違っているということではありません。大切なのは、神のみ名を用いることです。


 人は名前の分からない人と親しい関係を持つことは難しいものです。神のみ名を用いないならば、その方に祈りのうちに心から話しかけて、個人的な関係を培うのは、難しいかもしれません。また、すべての人々に神について語る場合に、どうすれば、まことの神が諸国民の神々とは異なることを明らかにできるでしょうか。神ご自身の名を用いて初めてそうすることができます。私たちは、エホバあるいは自国語で神のみ名として受け入れられている発音を用いて、その方に愛と敬意を表わし、その方のことを語り告げることができます。