詩篇6編・死者は神をほめたたえられない(新改訳)

「死にあっては,あなたを覚えることはありません。よみにあっては、だれがあなたをほめたたえるでしょうか。」(詩篇6:5 新改訳)


 ダビデは死の状態について上記のように述べました。死者が神をほめたたえることがないことを述べています。


 この聖句は、明らかに、人が死ぬと無意識になり、神をほめたたえたり、神に感謝をささげたり何もできなくなることを示しています。




 それは、ダビデがこのことを神に述べた理由を考えれば分かります。ダビデはなぜこのことを述べたのでしょうか。詩編6編4節で、ダビデは、「私のたましいを助け出してください。あなたの恵みのゆえに、私をお救いください。」と神に訴えています。


 ダビデは命をおびやかされていました。それで、神に助けを祈り求めました。ダビデは神に助けて欲しい根拠として、ダビデが生きているならば、ダビデは神を覚えて、ほめたたえますが、死んでしまうと、それができなくなることを述べています。神の賛美者がひとり少なくなるので、神の損失となります。そういうことのないようにと、神に助けてくださるようにと訴えたわけです。


 ですから、ダビデは、死者の意識が存続する死者の世界があるとは考えていませんでした。陰府とは、単に人類に共通の墓もしくは墓の領域を意味していたにすぎません。ダビデは、人が死ぬと神について語れなくなることを理解していました。


 ですから、詩編6編のこの聖句は、女霊媒が呼び出した「サムエル」についての理解を深めます。サウル王は、エホバが自分に答えてくださらないので、女霊媒を通して、サムエルを呼び出してもらいました。女霊媒に呼び出された「サムエル」は、神がサウル王から去って敵になっていること、神はサウル王から王位をはぎとってそれをダビデに与えること、サウルがペリシテ人に敗北することを述べました。(サムエル記第一28:16〜19)


 これは、その通りだったので、あたかも死んだサムエルが語ったかのように見えます。しかし、詩篇6編のダビデの言葉から、語ったのが、死んだサムエルでないことが分かります。死者は神について語ることはできません。ですから、この時、語っていたのは、死んだサムエルではなく、悪霊がサムエルのふりをして語っていたことが分かります。


 それで、霊媒を通して神のお告げを聞こうとするのは間違っています。霊媒を通して語るのは、死者ではなく、悪霊ですから、霊媒に頼って悪霊と交信すべきではありません。(使徒16:16)


 ダビデの言葉から死者は何も話すことも行動することもできないことが分かります。伝道者の書にも、「死んだ者は何も知らない。・・・あなたが行こうとしているよみには、働きも企ても知識も知恵もないからだ。」と述べられています。(伝道者の書9:5,10)


 死者は生きている人のように知識や知恵を働かせることができない無意識の状態です。「死の眠り」という言葉もあるように、死者はぐっすり眠っているような状態です。(詩篇13:3。コリント第一15:20)
 

 神は罪を犯したアダムに、「ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」と言われました。(創世記3:19)ですから、死んだ人は、土のちりに帰っています。死者はもう存在がなくなっていることが分かります。


 当然、死者の意識が存続している死の国のようなものは存在しません。死者を苦しめる地獄のような場所は存在しません。死者は神について語ったり、神をほめたたえたりすることはできません。




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