啓示1章・主の日はどの期間をさしているか

「わたしは霊感によって主の日に来ており,ラッパの音のような強い声がわたしの後ろでこう言うのを聞いた。」(啓示1:10)


啓示1章10節の「主の日」とはどの期間を指しているのでしょうか。
ヨハネは、啓示1章12節以降で「人の子のような者」すなわち栄光を受けられたイエス・キリストの幻を見ます。ですから、啓示1章1-節の「主」とは明らかに、エホバ神のことではなくて、イエス・キリストです。


さて、ルカ17章27節から30節では、「主の日」が「人の子の日」また「人の子が表わし示されようとしている日」と述べられています。さらにイエスは「人の子の日」に、「ノアの日」や「ロトの日」に起きたのと同様の状況が見られると言われました。


  「ノアの日」に人々は食べたり、飲んだり、めとったり、嫁いだりしていて、最後にノアは箱舟に入り、洪水が来て人々をみな滅ぼしました。(ルカ17:27)それで、この「ノアの日」とは、ノアが箱舟を作り初めてから、彼が箱舟に入って洪水が起こる時まで、何十年もの期間を意味していると言えるでしょう。


  さらに、「ロトの日」に人々は食べたり、飲んだり、買ったり、売ったり、植えたり、建てたりしていて,ロトがソドムから出た日に天から火と硫黄が降って、人々をみな滅ぼしました。(ルカ17:28,29)ですから、「ロトの日」というのは、ロトがソドムに住み始めた時から、ロトがソドムを出てソドムが滅ぼされた時までの長い期間を意味していると言えるでしょう。


  それで、「ノアの日」や「ロトの日」はノアやロトの全生涯を意味するのではなく、ノアやロトに関連して一定の特別な長い期間を意味していました。


イエス・キリストも太古の昔から存在しておられますが、「人の子の日」というのは、イエス・キリストに関連して一定の特別な期間と言えます。ですから、「主の日」というのはイエスが特別な意味で「主」とみなされる日つまり期間のことでしょう。それは、イエスが天で王権を与えられる時に始まるでしょう。イエスが天で王として即位された西暦1914年から千年統治の終わりに王国の王としての立場を退かれる時までを意味しているでしょう。(コリント第一15:24,25)


  その主の日の間に、北の王が南の王に総攻撃をしかける大患難があり、また、イエスが天の軍勢を率いて、悔い改めない邪悪な人々を裁かれるこの事物の体制の終わりがあるでしょう。


  ヨハネは霊感によって主の日に来ていると述べました。おそらくこのことはヨハネが与えられた啓示の書の預言の幻全体について言えるでしょう。


  西暦1914年が特別の年であることに対して、他のキリスト教会の人々は疑念を言い表します。しかし、エホバの証人は西暦1914年が特別な年になることをその年までおよそ40年間宣べ伝えました。そして、その年1914年は確かに人類史の転換点となりました。


エホバの証人の宣教に対する熱心さも、西暦1914年に天でイエスが王になっておられることに対する確信に負うところが大きいのです。イエスは「王国のこの良いたより」が人の住む全地で宣べ伝えられることを予告されました。(マタイ24:14)しかし、この聖句を成就して全世界で家から家への宣教の業を組織的に行っているのは、エホバの証人だけであることをキリスト教の教会、組織は認めるべきでしょう。


  イエスは人の子の日と、ノアの日やロトの日を対応させて、滅びに先立つ期間を人の子の日、つまり主の日と言われました。また、啓示6章には、地上で起こる災いを意味する3頭の馬に先立ってイエスを表わす白い馬が乗り進みます。また、イエスはご自分の臨在のしるしとして、さまざまな地上に起こる災いを予告されました。ですから、イエスが天で王として即位されて以降、地上にさまざまな災いが起こるというエホバの証人の教理は、聖書全体と調和していると思われます。


エスがなぜ西暦1914年に天で王となったと言えるのかということについては、また後ほど説明したいと思います。