エゼキエル9章・大患難から救われるために求められている特質とは何か

「その方は,亜麻布をまとい,腰に書記官のインク入れを帯びている人に向かって呼ばわりはじめられた。そして,エホバは続けて彼に言われた,『都の中,エルサレムの中を通れ。その中で行なわれているすべての忌むべきことのために嘆息し,うめいている者たちの額に,あなたは印を付けなければならない。』・・・その方はわたしに言われた,『イスラエルとユダの家のとがは甚だ大きく,この地は流血に満ちており,この都市はよこしまに満ちている。』」(エゼキエル9:3,4,9)


大患難から救われるためにエホバは人にどんな特質を求められるのでしょうか。昔、エホバはエルサレムに臨む滅びから救い出されるためにどんな特質を求められたでしょうか。


エルサレムは西暦前607年にバビロンによって滅ぼされてしまいました。滅ぼされる前にイスラエルとユダは、流血やよこしまな行ないに満ちていました。それでエホバは腰に書記官のインク入れを帯びている人に、エルサレムの中を通ってその中で行なわれているすべての忌むべきことのために嘆息しうめいている者たちの額に印を付けるようにと言われました。そして額に印が付けられている人はエルサレムの滅びを生き残ることができました。(エゼキエル9:6)


額に印が付けられている人々以外の人々はすべて老若男女が滅ぼしつくされました。これは、文字通りに起きたことではないでしょう。では、額に印の付けられた人とはどんな人を表わしていたのでしょうか。


昔、エホバはご自分のみ名を負う都市で行なわれている事柄を憂いている人に救いを差し伸べられました。そうした人は、エルサレムに臨んだ裁きを生き残り、バビロンに連れて行かれたイスラエル人もいたことでしょう。エホバは世の中で起きていること、とりわけ神のみ名によって行なわれる流血などの邪悪な事に人が敏感であり、そうしたことを嘆くという心を求めておられました。単に自分自身に起こる個人的な苦難を嘆くことを超えたことを求めておられると言えます。


アブラハムの甥ロトの場合はソドムの中の「無法な人々の放縦でみだらな行ないに大いに苦しんでいた」ので救い出されました。(ペテロ第二2:7)神の律法が踏みにじられて、同性愛や暴力行為が見られることに、ロトの義なる魂は苦しんでいたのでしょう。


ロトはソドムで経済的には、問題のない生活を送っていたかもしれません。けれども、ロトは自分のことだけでなく、自分の周りの社会で起こっていることに敏感でした。それで、ロトは堕落したソドムが滅ぼされるという音信を聞いた時、真剣に受け取りました。


一方、ロトはソドムが滅ぼされることを娘の未来の婿たちに伝えましたが、彼らはロトの話を冗談だと思いました。彼らは、腐敗堕落したソドムに住んでいても何も問題意識を感じていなかったのでしょう。それで、彼らは、警告が与えられても、本当だとは思えず、逃げなかったので、命を失ってしまいました。


それでエホバは、ロトが道徳感覚が鋭敏であり、周囲で起きていることに敏感だったので救われました。ロトの例からも、エホバは私たちに善良な普通の生活を送る以上のことを求めておられると言えます。私たちは周囲で起きていることに、敏感であるべきです。


主の日に住んでいる私たちは、メディアの発達のおかげで以前よりも世界で起こっている事を容易に知ることができるようになっています。それでエホバは私たちの心に世界や自分の国で起こっていることに敏感であり、邪悪なことを嘆く心を求めておられると言えます。 


エホバが聖書やキリスト教に関係のあることに特に関心を示されるのは当然のことです。私たちはとりわけ神のみ名によって行なわれている邪悪な事柄に嫌悪を感じているべきでしょう。そのようにして、世界や大いなるバビロンの中で起きていることに敏感であれば、聖書の助言に従ってすぐに救われるための行動をとることでしょう。それは、私たちが来るべき大患難から救われるという結果になるでしょう。