箴言11章・お金によって幸福になれますか

「自分の富に依り頼む者―その者は倒れる。」(箴言11:28)






 お金によって幸福になれるでしょうか。聖書はお金に限られた価値があることを認めています。聖書は「金が身の守りである」と述べています。(伝道の書7:12) また「金はすべてのことに反応を生じさせる」とも述べています。(伝道の書 10:19)確かに、 金銭は貧困やそれに伴う問題から人の身を守り、人はそれによって必需品もぜいたく品も入手することができます。


 また、聖書は、「富は多くの友を加え(る)」とも述べています。(箴言19:4)また、「資力の乏しい者の兄弟はみな彼を憎んだ、その身近な友人たちはなおさら遠く彼から離れてしまった。」と述べられています。(箴言19:7)確かに、金銭や富があれば、仲間と交友する交際費の余裕があるので、富によって友を作ることもできるでしょう。一方、金銭を持たない人を普通の人はうとんじます。ですから、ある程度、金銭を持っている方が友人も多いという結果になるでしょう。


 しかしながら、 聖書は、お金があり過ぎることも無さ過ぎることも困った結果になり得ることを次のように述べています。「わたしに貧しさをも富をも与えないでください。・・・それは,わたしが満ち足りて[あなたを]実際に否み、『エホバとはだれか』と言うことのないため、また、貧しくなって実際に盗みを働き、わたしの神の名を損なうことのないためです。」(箴言30:8,9)


 ですから、聖書は富によって満ち足り、神を否定してしまうことがあると述べる一方、お金がなく貧しいために盗みを働き、神の名を損なう結果になり得ることも述べています。


 また、聖書は金銭に対する愛が有害な結果をもたらすことを、次のように述べています。「金銭に対する愛はあらゆる有害な事柄の根……です。ある人たちはこの愛を追い求めて信仰から迷い出、多くの苦痛で自分の全身を刺したのです」。(テモテ第一 6:10)聖書は金銭に対して過度の愛を持つことは、あらゆる有害な事柄を生み出す原因になり得ると述べています。確かに、ある人々は、金銭を追い求めて、神から離れてしまい、多くの苦痛を経験しました。


 たとえば、ある人々は金銭を追い求めて、世俗の仕事に没頭し、神を忘れて、道徳上の基準をかなぐり捨て、家族、友人関係をも疎かにするかもしれません。結果として、収入は増えたものの、健康を損ない、家族生活も崩壊し、おまけに借金も増え、警察にもつかまり、さんざんな目にあったというような経験を聞くことがあるかもしれません。そうした経験は、金銭に対する愛を追い求めると、多くの苦痛を経験することになるという聖書の言葉を裏付けているでしょう。


 神の言葉は、さらに、「富を得ようと急いでいる者は潔白を保てない。」と述べています。(箴言28:20)このことも、人が金銭に対する愛ゆえに、道徳基準を下げてしまうことがあることを確証しています。それは、当人に苦しい結果をもたらすでしょう。


 聖書はお金は私たちの喜びとなる生活の必要物を得ることに貢献することを認めていますが、金銭を過度に追い求めることによって不幸な結果になり得ることを述べています。(申命記 16:19; 23:18; 27:25; エゼキエル 22:12; マタイ 26:14,15; 28:11‐15)


 また、聖書は物質の富によって得られる喜びが一時的で、物質の富によって永続的な喜びや満足は得られないことも述べています。「ただ銀を愛する者は銀に満ち足りることなく、富を愛する者は収入に[満ち足りることがない]。」と聖書は述べています。(伝道の書5:10) そのために、金銭を愛する洞察力のない人は、富を追い求め続けるという結果になるでしょう。


 また、聖書は同時に、富が非常に早く無くなってしまうことを述べています。「富を得ようと労してはならない。・・・それは自分のために必ず鷲のような翼をつけ、天に向かって飛び去る。」と箴言は述べています。(箴言23:4,5)


 長時間一生懸命働いて富を得ようとするかもしれませんが、お金は使うとすぐになくなってしまいます。人にだまされたり、事故や災いに遭ったりして、長い間働いて得た金銭をあっという間に失うということもあるでしょう。


 それで、聖書は、「自分の富に依り頼む者―その者は倒れる。」と述べています。(箴言11:28)ですから、過度に金銭を追い求めたり、富に依り頼んだりするならば、金銭を失う時、倒れる結果になり、苦痛を経験することになります。金銭はあっというまになくなってしまうことがありますから、富に頼っている人は頼るものをすぐに失ってしまうことがあるでしょう。


 ですから、聖書はお金を追い求めたり、お金に頼ったりして幸福になることができないことを述べています。ある人は、お金がある程度の物質的な慰安をもたらしてくれるので、お金によって永続的な幸福と安全を得られると勘違いしてしまうかもしれません。しかし、お金は万能ではありません。お金は全能の神ではありません。聖書はお金に限られた価値があることを認めつつも、お金に頼って永続的な幸福を得ることができないことを述べています。


 どうすれば、お金を有用な僕として永続的な幸福を得られますか、ということに関しては次回取り扱いましょう。


箴言11章・お金によって幸福になれますか