コリント第二8章・将来貧富の差はどうなるか

「均等を図ることによって,あなた方の当面の余分が彼らの欠乏を埋め合わせ,その結果,彼らの余分も同じようにあなた方の欠乏を埋め合わせ,こうして均等になるためなのです。『多くある者にも多過ぎることなく,少ししかない者にも少な過ぎることはなかった』と書かれているとおりです。」(コリント第二8:14,15)


 神の王国のもとでは、貧富の差はどうなりますか。一世紀のクリスチャンの間では、冒頭の言葉のようなやり方が行なわれました。ある地域の会衆が余分に持っていれば、その余分は欠乏している別の会衆の欠乏を埋め合わせるために用いられました。そのことは、交互に行なわれました。その結果、各会衆の経済状況は均等になりました。


 この同じやり方が神の王国の下の新しい体制で行なわれるでしょう。新しい体制では、余分のある人は、欠乏している人の欠乏を埋め合わせ、反対に他の人の余分が別の人の欠乏を埋め合わせるということが、十分に行なわれるでしょう。


 また、多くある者には多過ぎることなくなると述べられています。また、少ししか無い者にも少なすぎることはなかったと述べられています。ですから、こうした援助、助け合いは個人間でも行なわれるでしょう。


 ですから、楽園では、今の世界とは大変異なった世界になります。多くある者は欠乏している人を寛大に援助する世界になります。その結果、均等になり、貧富の差がほとんどなくなることになるでしょう。楽園では、欠乏で苦しむ人はいなくなるでしょう。


 大患難の前に山に逃れる人たちもそのような考え方で行なうならば、大勢の人が助かるでしょう。実際、山に逃れる時は、そうした相互の助け合いがなされるように指導がなされることでしょう。その結果欠乏は最小限に抑えられるでしょう。


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