マタイ6章・お金を用いて永続的な幸福を得る

「思い煩って,『わたしたちは何を食べるのか』,『何を飲むのか』,『何を身に着けるのか』などと言ってはなりません。これらはみな,諸国民がしきりに追い求めているものなのです。あなた方の天の父は,あなた方がこれらのものをすべて必要としていることを知っておられるのです。ですから,王国と[神]の義をいつも第一に求めなさい。そうすれば,これら[ほかの]ものはみなあなた方に加えられるのです。」(マタイ6:31〜33)


 先回、「箴言11章・お金によって幸福になれますか」という記事の中で、お金に頼って永続的な幸福を得られない理由を検討しました。しかし、お金は私たちの有用な僕とすることができます。では、どうすれば、お金を有用な僕として、永続的な幸福を得られますか。今回は、このことを調べてみましょう。


 聖書は金銭や富の価値が限られていると述べています。まず、物質上の富は、その所有者に命を与えることはできません。詩編は「自分の資産に依り頼んでいる者たち、自分の豊かな富を誇りとしている者たちは、・・・彼のために贖いを神にささげることもできない。」と述べています。(詩編 49:6‐8)

 ですから、どんなにお金があっても、現在の命を延ばすことができないことがあり、またどんなにお金を持っていても、神からの永遠の命を得ることはできません。どんなに医療費にお金を使ったとしても、またたとえ全世界を所有していても、私たちはそれによっては永遠に生き続けることはできません。(マタイ 16:26)


 「金が身の守りであるように、知恵も身の守り」となります。しかし、「知識の利点は、知恵がそれを所有する者たちを生きつづけさせることにある」と述べられています。(伝道の書7:12)それで、確かにお金は身の守りとなりますが、お金によって生き続けることはできません。


 お金があっても、愚かであるために、命を失うということがあるでしょう。また、金がどれほどあっても、エホバから来る真の知恵を買うことはできません。(ヨブ 28:12,15‐19)しかし、エホバを源とする真の知識や知恵は、人を生き永らえさせ、永遠の命を与えることができます。ですから、お金よりも、聖書に基づく真の知識や知恵の方が勝っていると言えます。

 また、聖書には、「その銀も金もエホバの憤怒の日には彼らを救い出すことができない」と述べられていますから、金や銀には,エホバの怒りの日に救出をもたらす力がありません。(ゼパニヤ 1:18)


 ですから、私たちのすべての時間を金銭を追い求めることに費やすのは、何と愚かなことでしょう。エホバの憤怒の日に命を失ってしまうことになります。しかし、エホバを恐れて、エホバの義の基準に関する知識を取り入れて、それを柔和に当てはめることは、エホバの怒りの日にその人を隠し、命を生きながらえさせる結果になります。(ゼパニヤ2:3)


 それで、聖書は、必要なものがあれば良しとして満足するように勧めて、必要以上の富を得ようと労することのないようにと勧めています。(テモテ第一6:8)


 一方、持っている金銭や富を神に喜ばれるように用いたり、他の人に施したりして善を行なうことができます。(ルカ 16:1〜9)これには,清い神の崇拝の推進のために寄付をすることや、困窮した人たちに物質的な援助を与えることが含まれます。(歴代第二 24:10‐14。 ロマ 12:13。 ヨハネ第一 3:17,18)そのようにするならば、私たちはエホバを喜ばせ、与える幸福を経験できるでしょう。(使徒20:35)


 では、どのようにして、必要な金銭や富を手に入れることができるのでしょうか。イエスは、お金や物質上の富に関して次のように助言しました。「思い煩って,『わたしたちは何を食べるのか』,『何を飲むのか』,『何を身に着けるのか』などと言ってはなりません。これらはみな,諸国民がしきりに追い求めているものなのです。あなた方の天の父は,あなた方がこれらのものをすべて必要としていることを知っておられるのです。ですから,王国と[神]の義をいつも第一に求めなさい。そうすれば,これら[ほかの]ものはみなあなた方に加えられるのです。」(マタイ6:31〜33)

 また、箴言は「勤勉な者の手はその人を富ますものとなる。」と述べています。(箴言10:4)


 それで、神の王国に関連した事柄と神の義の基準を第一にしながら勤勉に働くならば、生活に必要な金銭や物質上のものを得られるように神が助けてくださるということが分かります。王国と神の義を第一に求めるとは、定期的な祈りや聖書の通読、忠実で思慮深い奴隷級が準備した霊的糧を定期的に取り入れること、聖書を説明する集会に行くこと、神の義の基準を守ることなどが含まれるでしょう。


 それで、お金に頼って永続的な幸福を得ることはできません。しかし、聖書は確かに金銭がある程度身の守りとして必要であることを述べています。また、金銭を用いて神を喜ばせ、与える幸福も経験できると述べて、金銭や富に限られた利点があることも認めています。


 それで、神を恐れて神の義の基準を守り、霊的な事柄を第一にしつつ勤勉に働くことは、現在、必要なお金や物質の必要物を手に入れる上で神の助けを得ることになります。そのようにして、エホバの是認を求めるならば、将来神の是認を得るために必要な行動をとることができるでしょう。そうすれば、エホバの怒りの日を生き永らえ、永遠の命を得る結果になるでしょう。このことは、私たちに永続的な幸福をもたらすと言えるでしょう。


箴言11章・お金によって幸福になれますか