ルカ23章・イエスは杭と十字架どちらにつけられましたか

「さて,[イエス]を引いて行くさい,彼らは,キレネ生まれで,田舎から来たシモンという者を捕まえて苦しみの杭を負わせ,イエスの後ろからそれを運ばせた。」(ルカ23:26 新世界訳)


 キリスト教世界のほとんどの人は,イエス・キリストを処刑するのに使われた刑具は十字架であると考えています。エホバの証人は、それが杭であると主張しています。では、そのことについて何が真実なのか確かめてみましょう。








 聖書の当の筆者たちはこれらの点に関してどんなことを述べていますか。彼らはギリシャ語の名詞スタウロスを27回、動詞のスタウロオーを46回、シュンスタウロオー(接頭辞シュン、「と共に」の意)を5回、またアナスタウロオー(アナ、「再び」の意)を1回使いました。また,イエスがくぎづけにされた刑具を指すのに、クシュロンというギリシャ語を5回用いました。


 スタウロスは多くの聖書で、「十字架」と訳されています。たとえば、新改訳では、ルカ23章26節を、「彼らは、イエスを引いていく途中、いなかから出て来たシモンというクレネ人をつかまえ、この人に十字架を負わせてイエスのうしろから運ばせた。」と訳しています。このように新改訳では、スタウロスを十字架と訳しています。冒頭の聖句にあるように新世界訳は、新改訳で十字架と訳されていたギリシャ語スタウロスを「苦しみの杭」と訳しています。


 このスタウロスという語は、古典ギリシャ語において、どのような意味があったのでしょうか。ダグラス編,1985年版,新聖書辞典は、「十字架」の項で,「『十字架』に相当するギリシャ語(スタウロス; 動詞スタウロオー……)は第一に,まっすぐな杭もしくは梁材を意味し,第二に刑罰や処刑のための道具として使われた杭を意味する」と述べています。


 それで、古典ギリシャ語では、スタウロスには、2本の材木で作られた「十字架」という考えは含まれていません。おもに、単にまっすぐな杭また梁材を意味しています。


 多くの聖書辞典がそのことを認めています。インペリアル聖書辞典は、次のように述べています。「十字架と訳されるギリシャ語[スタウロス]の正しい意味は,何かを掛けるとか,一区画の土地を囲う[柵を巡らす]のに使う杭,まっすぐな柱,あるいは1本の棒杭である。」インペリアル聖書辞典も、スタウロスの意味が杭、まっすぐな柱、あるいは一本の棒杭であることを認めています。


 ローマ人は,ラテン語でクルクスという名で知られていた処刑用具を使いました。それで,聖書をラテン語に翻訳する際に,スタウロスの訳語としてこのクルクスという語が用いられました。十字架を意味する英語のcrossはラテン語のcruxから派生したものです。ラテン語のクルクスと英語のクロスとが似ているため,クルクスとは横木の付いた柱だったに違いないと思い込んでしまう人が少なくありません。


 しかし、「インペリアル聖書辞典」はこう述べています。「ローマ人の間でさえ、クルクス(英語のcross[十字架]はこれから派生している)は、もともとまっすぐな柱であったようだ。しかもこの意味のほうが常に主要な用法であった」。(P・フェアベアン編ロンドン,1874年版,第1巻,376ページ,英文)それで、ギリシャ語スタウロスのラテン語の訳語であるクルクスも、まっすぐな柱というのが主要な意味でした。


 ルカ、ペテロ、パウロはまた、スタウロスの同義語としてクシュロンを用いています。クシュロンという語も、イエスが横木のないまっすぐな杭につけられたことをさらに示す証拠となっています。というのは,それが、クシュロンの意味するところだからです。(使徒 5:30; 10:39; 13:29; ガラテア 3:13; ペテロ第一 2:24)


 リデルとスコット共編の希英辞典は,クシュロンの意味を次のように定義しています。「すぐに使えるように切ってある木,薪,材木など……木片,丸木,梁材,支柱……こん棒,棒……犯罪者が付けられる杭……生きた木の場合は立ち木」。それで、希英辞典も、クシュロンという語の意味が、材木、梁材、棒という意味であると述べています。


 こうして調べてみると、イエスの処刑された用具を意味する、ギリシャ語のスタウロスもクシュロンも一本の材木、棒という意味です。また、スタウロスのラテン語の訳語であるクルクスもまっすぐな柱というのが主要な意味でした。


 イエスは十字架につけられたのではなく、一本の杭の上で処刑されたことが分かります。それで、十字架をイエスの処刑の象徴と考えるのは間違っていることが分かります。このことを知った今、あなたは十字架をキリスト教の象徴として用いるクリスチャンの習慣に関してどうされますか。神は、偽りの象徴をご自分の崇拝の象徴として用いることをどう思われるでしょうか。私たちは、イエスの言われたように神を「霊と真理をもって崇拝し」、見えるものに頼らず、真実に従って崇拝すべきではないでしょうか。(ヨハネ4:24)


イザヤ9章・イエス・キリストは神ですか