ルカ21章・神の民の救出はどの時点で生じるか

「そのとき彼らは,人の子が力と大いなる栄光を伴い,雲のうちにあって来るのを見るでしょう。しかし,これらの事が起こり始めたら,あなた方は身をまっすぐに起こし,頭を上げなさい。あなた方の救出が近づいているからです。」(ルカ21:27,28)


エスは、冒頭の聖句の中でイエスが力と栄光を伴い雲のうちにあって来ることは、クリスチャンにとって救出を意味すると言われました。クリスチャンは今のサタンの支配する世の中で、迫害や試練を忍耐しながら、信仰を保っています。私たちはいつ救出を経験できるのでしょうか。これを理解するためには、聖書全体の預言を考慮する必要があるでしょう。


 イエスが雲のうちにあって来ると言うことは、イエスの到来は、目に見えないことを意味しているでしょう。イエスが雲のうちにあって来ることが何を意味するかは、テサロニケ第二の手紙の預言に書かれています。そこでは、主イエスは強力なみ使いたちを伴い燃える火のうちに天から表わし示される時、イエスは神を知らない者と、主イエスについての良いたよりに従わない者に報復をすると述べられています。


ですから、イエスが天的な軍勢を用いて、聖書の音信に反抗する人々を処刑する時が来ます。それは、今の事物の体制の終わりを意味します。裁かれた人々は、永遠の滅びを被ります。そして、イエスは、迫害と患難を耐え忍んでいる神の民に対しては、安らぎをもって報います。(テサロニケ第二1:6〜8)


ですから、その時イエスが行われる裁きは選択的なものです。神の民はイエスの行われる裁きを、少しも恐れる必要はありません。ですから、それは、一般人類も神の民も危険にさらされる諸国民の戦争の時とは、異なっています。


それで、ルカ21章27節のイエスの雲のうちにある到来とは、事物の体制の信仰のない人々に対するイエスの裁きを意味しているでしょう。それは、神の王国が地上に対して全面的に支配を始めること、すなわち楽園の到来を意味するでしょう。この神の民の救出はどの時点に起きるのでしょうか。


マタイ24章21節によると、イエスは「世の初めから今に至るまで起きたことがなく、いいえ、二度と起きないような大患難」があることを予告されました。クリスチャンが救われるのは、この大患難の最後でしょうか。聖書の他の預言を調べると、クリスチャンの救出は大患難の結びにはならないように思われます。この大患難は、神の民にとっても、信仰のない一般の人々にとっても等しく苦難の時になるように思われからです。


その大患難の時は、「処断の日」となり、「書かれていることのすべてが成就」します。(ルカ21:22)おそらく、聖書の中に預言されている「エホバの日」に関する預言がこの時に成就するのでしょう。また、「非常な窮乏」また「憤り」の時となります。(ルカ21:23)この大患難は、神の民にとっても、災いにあう危険にさらされる時となるでしょう。それで、この大患難は、この事物の体制からの神の民の救出につながらないように思われます。


この大患難は、「選ばれた者たちのゆえに、その日は短くされる」ことになっています。(マタイ24:22)それで、この大患難は、比較的に短期間に縮められることになっています。そして、聖書の言葉によると、大患難が短期間で終わるゆえに、肉なる者が大患難をかろうじて生き残れるようです。大患難を生き残るのは、神の民とは述べられていません。それは、肉なる者ですから、神の民だけではなく、一般の人々も生き残ります。ですから、このことからも、大患難は、今の事物の体制の終わりのイエスの裁きの時とは異なると言えるのではないでしょうか。


啓示の書には、緋色の野獣が、大娼婦を憎んで、荒れ廃れさせ、火で焼き尽くすことが預言されています。(啓示17:16) この大娼婦の災厄がイエスの預言された大患難に違いありません。なぜなら、大娼婦の滅びを、地の王たちや地の旅商人たちが生き残って嘆くことが預言されています。(啓示18:9,11)それで、その大患難を生き残る信仰のない一般の人々がいるのですから、このことからも、神の民の救出は、大患難の終わりに生じるわけではないということが分かります。


さらに、啓示の書には、「彼女の災厄は一日のうちに来る」と述べられていて、大娼婦の滅びが比較的に短い期間に生じることが示されています。(啓示18:8)これは、大患難が短くされるというマタイの記述と調和しています。(マタイ24:22)


さらに、啓示の書には、「かつていたが今はいない野獣」すなわち、国際連合である緋色の野獣は「八人目の王」となると述べられています。(啓示17:11)八人目の王ということは、緋色の野獣が大娼婦を滅ぼした後、しばらくの間世界を支配する期間があることを示しています。緋色の野獣が「かつていたが今はいない野獣」であり、八人目の王となることについては、また別の機会に詳しく考察したいと思います。ですから、神の民の救出は、その国際連合が支配する一定の期間の後に生じるでしょう。



国連−八人目の王と思われる

エスは、ルカ21章35,36節で、これらの事柄が、「全地の表に住むすべての者に臨む」ことを予告された後、「起きることが定まっているこれらのことすべての事を逃れ、かつ人の子の前に立つことができるように、常に祈願をしつつ、いつも目ざめていなさい。」と勧められました。私たちは、イエスの預言を研究し、その真の解釈を見極め、世界情勢を見守って目ざめているべきです。


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