児童虐待の傷をいやす−あなたのせいではない

先回まで、「児童虐待の傷をいやす−その破壊的な影響」「児童虐待の傷をいやす−その霊的な害」「児童虐待の傷をいやす−思い出すことによって」を取り上げました。今回は、児童虐待が被害者に責任がないことを取り上げます。


罪悪感と恥ずかしさを捨て去る

自分を責めるのをやめることも,立ち直るための大切な課題です。「今でさえ,自分には罪がなかったと考えるのは難しいのです。どうしてやめさせなかったのだろう,と考えてしまうのです」と,被害者のレバは言います。


しかし,加害者は強制という最も卑劣な手段を使うということを忘れないでください。権威(『わたしは父親だぞ』),脅し(『だれかに言ったら殺してやる』),野蛮な腕力,さらには罪悪感(『もしおまえがだれかに話したら,パパは刑務所に行くことになるんだよ』)などがその例です。逆に,やさしく説得したり,贈り物や小遣いで釣ったりする人もいます。また,性行為をゲームや親の愛情という言葉でごまかす人もいます。「これは,愛し合う時にだれもがすることなんだよ,とあの人は言いました」と,ある被害者は述懐しています。


幼い子供が,そのような感情面のゆすりや詐欺にどうして抵抗できるでしょうか。(エフェソス 4:14と比較してください。)そうです,加害者は冷淡にも,子供が無力でだまされやすく,「悪に関してはみどりご」であるという事実を利用するのです。―コリント第一 14:20。


次に,子供の時にはいかにだまされやすく無力であったかを思い起こす必要があるかもしれません。何人かの幼い子供と一緒に時間を過ごしたり,自分が子供の時にかいた絵を見たりするとよいでしょう。支えになってくれる友人も,虐待があなたの責任ではないことを絶えず指摘することによって助けになれます。


しかしある女性は,「父の行為によって興奮を感じたことを思い出すと,むかむかしてきます」と言っています。中には,いたずらされている時に興奮を感じたことを覚えている被害者(ある調査では58%)もいます。そのために,恥ずかしい気持ちになるのはよく分かります。


しかし,「子供に対する性的虐待を乗り越える」という本が指摘しているとおり,「身体的興奮は,特定の方法で触られたり刺激されたりしたことに対する体の自動的な[反応]にすぎず」,子供は「この興奮をどうすることもできない」のです。ですから,起きたことに関する全責任は加害者だけにあります。それはあなたのせいではないのです。

また,神はあなたをこの点で「とがめのない純真な者」とみなしてくださるのですから,そのことによっても自分を慰めてください。(フィリピ 2:15)やがて,捨て鉢な行動に走ろうとする衝動は収まるかもしれません。そして,自分の体を大切にすることができるようになります。―エフェソス 5:29と比較してください。


親を受け入れる


母親が虐待を見て見ぬふりをした場合や,虐待が露見した時にそれを否定したり怒ったりした場合には,母親を強く憎むこともあります。「母は私に,[父]を許すべきだと言ったんです」と,ある女性は苦々しげに語りました。


虐待されて怒りを感じるのはごく当然のことです。しかし,それでも家族を結びつけるきずなは強いかもしれません。あなたとしても,親との関係を一切断つことは望まないかもしれません。仲直りしたいとさえ思うかもしれません。しかしそれは,事情に大きく左右されるでしょう。親を完全に許したいと思う被害者もいます。それは,虐待を大目に見るということではなく,怒りに燃えたり恐れにとらわれたりするのを断固として退けたいという気持ちからです。感情的な対立を避けるほうを取って,『言いたいことは心の中で言い』,問題をそっとしておくことで満足する人もいます。―詩編 4:4。


しかし,問題を解決するには,虐待の事実を―直接会うか電話や手紙で―親に突き付けるしかないと思うようになる人もいます。(マタイ 18:15と比較してください。)そうする場合には,吹き荒れるかもしれない感情的なあらしに耐えられるほど自分が十分に立ち直っているかどうか,あるいは少なくとも十分の支えを得ているかどうかを確かめてください。怒鳴り合ったところで成果は上がらないので,毅然とした態度と共に冷静な態度を示すようにします。(箴言 29:11)


まず,(1)何が起きたか,ということから始め,(2)自分がどんな影響を受けたか,(3)親に何を期待するか(例えば,謝罪,治療費の支払い,行動を改めることなど)というふうに順を追って話してゆくとよいかもしれません。少なくとも,問題を明るみに出したということは,つきまとう無力感を追い払うのに役立つことでしょう。また,今までとは違う親子関係を築くための道を開くことになるかもしれません。


例えば,父親は虐待の事実を認め,非常に後悔していることを表わすかもしれません。また,行動を改めるために,例えばアルコール中毒の治療を受けるとか,聖書の研究を続けるなどして,誠実な努力をしてきたかもしれません。同じように母親も,あなたを守れなかったことで許しを請うかもしれません。時には完全に仲直りできることもあります。しかし,依然として親に対する複雑な気持ちがあって,すぐには親と親しくなりたくないと思うとしても,驚くことはありません。とはいえ少なくとも,家族としての適度な付き合いは再開できるかもしれません。


一方,そのように話を持ち出した結果,加害者やほかの家族から頭ごなしに否定されたり,口汚い言葉を浴びせられたりすることもあるでしょう。もっとひどい場合は,加害者が依然としてあなたの敵であることが分かる場合もあります。そのような場合に許すのは適切ではないかもしれませんし,まして,親しくなることは不可能でしょう。―詩編 139:21と比較してください。


いずれにせよ,傷つけられたという気持ちがおさまるまでには相当時間がかかるかもしれません。最終的な裁きは神が行なわれるということを繰り返し思い起こす必要もあるでしょう。(ローマ 12:19)


耳を傾け支えになってくれる人に打ち明けることや,自分の気持ちを何かに書き留めることもやはり,自分の怒りについて理解する助けになるかもしれません。あなたは神の助けによって自分の怒りを処理することができます。時間の経過と共に,有害な感情があなたの考え方を左右するようなことはなくなるでしょう。―詩編 119:133と比較してください。


霊的な回復


誌面の都合で,感情面や行動面,また霊的な面の問題など,関係している問題をすべて取り上げることはできません。しかし,一つだけ触れておきたいことは,神の言葉の助けによって「思いを作り直す」なら,回復をかなり容易にすることができるということです。(ローマ 12:2)あなたの生活を霊的な考えや活動で満たし,『前のものに向かって身を伸ばしてください』。―フィリピ 3:13; 4:8,9。


例えば,虐待の犠牲になった人の中には,詩編を読み通すだけで大いに慰められる人が少なくありません。しかし,聖書の原則を勤勉に当てはめるなら,もっと大きな益が得られます。結婚生活のストレスはそのうちに少なくなるかもしれません。(エフェソス 5:21‐33)破壊的な行動もなくなるかもしれません。(コリント第一 6:9‐11)不健全な性的感情はいやされるかもしれません。(箴言 5:15‐20。コリント第一 7:1‐5)さらには,人間関係で平衡を保つことを学び,道徳面の境界線をしっかりと定めることもできます。―フィリピ 2:4。テサロニケ第一 4:11。


確かに,立ち直るためには強い決意と最大限の努力が必要です。真の神エホバがあなたの幸福に関心を持っておられることを忘れないでください。神は「心の打ち砕かれた者たちの近くにおられ,霊の打ちひしがれた者たちを救ってくださ(います)」。(詩編 34:18)虐待の犠牲になったある女性は言いました。「私の気持ちをエホバはご存じであり,気遣ってくださること,そうです,本当に気遣っていてくださることがやっと分かった時,私はようやく心の安らぎを感じました」。


わたしたちの愛ある神エホバは,心の安らぎ以上のものを与えてくださいます。義の宿る新しい世を約束しておられるのです。その新しい世では,子供の時のつらい記憶をすべてぬぐい去ってくださいます。(啓示 21:3,4。イザヤ 65:17もご覧ください。)あなたは完全に立ち直るまでの間,この希望を支えとし,力とすることができます。


過去を解き放す


記憶は普通,数週間,数か月,あるいは数年たってよみがえります。記憶がよみがえるたびに,一時的な危機が訪れます。「純潔でいる権利」という本はこう述べています。時には「逆戻りしているように感じることがあるかもしれないが,そうではない。あなたは良くなっている。実際のところ,より深い感情や意識,よりつらい感情や意識を直視するのに必要な強さを得るようになったのである」。


ある被害者にとっては,他の被害者たちの言葉を読んだり聞いたりすることが役立ちます。また,家族の写真や子供のころの記録を見たり,子供のころによく行った場所を訪れたり,支えになってくれる友人や家族に話したりすることも,記憶をよみがえらせる助けになります。特に効果的なのは,書くことです。中には,心の傷に関して思い出せることをすべて日記に書いている被害者もいます。また,加害者に対する手紙―実際には出さない―にありのままの気持ちをしたためる人もいます。そうすることによってさらに記憶がよみがえることも少なくありません。



以上の記事は、目ざめよ!1991/10/8号「児童虐待の傷をいやす」の「いやす時」を参考に作成されています。


詩編62編・神に依り頼むとは


近親相姦の傷跡を癒す―神は理解して助けてくださる