ヨブ4章・悪霊から音信を受けたヨブの友エリパズ

「ひとつの霊が、わたしの顔の上を通り過ぎて行った。わたしの身の毛はよだちはじめた。」(ヨブ4:15)


 ヨブがさまざまな災いを経験した時、テマン人エリパズはヨブを慰めに来ました。(ヨブ2:11)その時、エリパズは霊から音信を受けた経験について言及しました。(ヨブ4:15)


 エリパズはその霊はまことの神から遣わされたとみなしたことでしょう。しかし、エリパズが接触した霊は悪霊でした。そして、その霊からエリパズが受けた音信は、ヨブにとって慰めになりませんでした。では、なぜエリパズが接触した霊が悪霊であることが分かるのでしょうか。


 エリパズはある夜の経験を述べています。「深い眠りが人々を襲うとき」、エリパズに「ひとつの言葉がひそかにもたらされ」ました。エリパズは、その時、「怖れがわたしを襲い、おののきも襲った。おびただしいわたしの骨を、それは怖れで満たした。」「ひとつの霊が、わたしの顔の上を通り過ぎて行った。わたしの身の毛はよだちはじめた。」と語っています。(ヨブ4:12〜15)
 

 霊がエリパズと接触し、エリパズに音信がもたらされた時、エリパズは極度の怖れにとらわれました。ところが、これはエホバの言葉が神の僕に臨んだ時の状況とは異なっています。


 昔エホバの僕にみ使いが遣わされた時、確かにエホバの僕は恐れました、しかし、エホバのみ使いはたびたび、「恐れなくてよい。」と言ってその恐れを和らげられました。たとえば、裁き人ギデオン、バプテスマのヨハネの父となった祭司ゼカリヤ、処女マリアにみ使いが遣わされて音信が伝えられた時も、み使いは彼らの恐れを和らげました。(裁き人6:23。ルカ1:13;1:30)


 神の僕たちが神からの音信に接した時、極度の恐れを感じることのないように、エホバは取り計らわれました。しかし、エリパズの場合は、エホバからの音信を受ける場合の特徴と異なっていました。エリパズは極度の怖れにとらわれるままにされました。それで、エリパズに接触した霊は、悪霊であったと言えます。


 また、エリパズが悪霊から音信を受けたことは、エリパズに語られた言葉が神の霊感を受けて書かれた他の部分に調和していないことからも分かります。
 

 例えば、エリパズは、「見よ、ご自分の僕たちをさえ神は信じておらず、その使者たちの過失をとがめられる。」という言葉を聞きました。(ヨブ4:18)しかし、その言葉は正しくありませんでした。


 エホバはご自分の僕たちに務めを与えて信頼を表されます。たとえば、昔、エホバはみ使いにご自分のご意志を行なうための方法を尋ねました。み使いがその方法を提案した時、エホバは、そのみ使いが首尾よく務めを果たすことを信頼され、実際そのみ使いは務めを達成できました。(列王第一22:22)


 エホバは、また、ご自分のみ子イエス・キリストやその仲間の144,000人を信頼されて、王国政府の王として支配する務めを委ねられます。(啓示5:10)ですから、聖書はエホバがご自分の僕たちを信頼されることを示しています。それで、エリパズの聞いた霊の言葉は、聖書の他の部分に調和しませんから、その音信の源が悪霊であったことが分かります。


 今日でも、神からの言葉を受けたという人がいます。その人は、その言葉を受けるにあたって過度の病的な恐れを抱かされてはいないでしょうか。また、その言葉は、聖書の他の部分と一致していないということはないでしょうか。そうすると、その人は、神から音信を受けたのではなく、悪霊から音信を受けているのではないでしょうか。


 確かに、昔神の僕は、エホバから直接音信を受け取りました。しかし、聖書は、神からの直接のお告げなどによって奇跡的な知識を得ることは、一時的なものであり、さまざまな奇跡が廃されることを予告していました。(コリント第一13:8〜10)それで、今日神からの音信を奇跡的に受けていると主張する人は、悪霊からその音信を受け取っています。


 今日神からの音信を奇跡的に受け取っていると主張している人は、自分が受けている音信が他の聖書の音信と一致しているか、慎重に聖書の音信を調べてみるべきです。そして、今日神から奇跡的に音信を受け取っていると主張している人から欺かれないようにする必要があります。


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