マタイ26章・初期クリスチャンに戻る努力を払ったチェコ兄弟団

「あなたの剣を元の所に納めなさい。すべて剣を取る者は剣によって滅びるのです。」(マタイ26:52) 


冒頭のイエスの言葉に従っていた使徒たちなどの初期クリスチャンは、武器をとって戦うことはしませんでした。また、初期クリスチャンは、山に逃れて農耕生活を送りました。中世にも、初期クリスチャンの模範に従おうと努力するグループがありました。その中にチェコ兄弟団がいました。


15世紀のチェコの聖書学者であり宗教改革者でもあったペトル・ヘルチツキーは,ワルド派とフス派の教えに精通していました。しかし,暴力的な運動を展開し始めたフス派を退け,妥協的な立場を取っていたワルド派にも背を向けました。1440年,ヘルチツキーは「信仰の網」(チェコ語)という本の中に自分の教えを記しました。


彼は、「戦争は絶対悪」という真理に到達しました。そして、謙譲と忍耐と労働を著作や説教で提言し、暴力によらない宗教革命の方法として、少数の同志たちとともに寒村にこもり、そこで山に逃れた初期クリスチャンのグループに似た自給自足の生活を実践しました。


 同時代の人のグレゴリウスは、ヘルチツキーの非暴力・自由・平等の教えに傾倒しました。1458年、元フス派の幾つかの小グループは、グレゴリウスに従ってボヘミア北東部の谷間にあるクンバルト村に行き、そこに新しい宗教共同体を築きました。 その後,チェコとドイツのワルド派のグループも彼らに加わりました。彼らは、そこに小さな家々を建て、農耕を行ない、聖書を読み、「一致兄弟団」と称しました。彼らはチェコ兄弟団とかボヘミヤ兄弟団とも言われます。


兄弟団の信条について,今も残る「議事録」はこう述べています。「我々は、専ら聖書を読むことを基盤として、また、黙想、謙遜さと辛抱強さ、敵を愛すること、敵に善を行ないその幸福を願うこと、敵のために祈ることなどに関し、我らの主および聖なる使徒たちにより示された模範を基盤として管理することを決議する」。


これらの書物から、兄弟団が初期クリスチャンに見習い、当初、宣教活動を行なっていたことも分かります。彼らは二人一組になって旅をしました。兄弟団は行政にかかわる仕事を避け、宣誓は一切せず、軍務に服することも武器を取ることもしませんでした。会衆の全成員による公の宣教活動を奨励し、悔い改めない罪人を追放しました。軍事活動や政治活動からは完全に離れていました。


少数派は「議事録」の決議に忠実に従っていたので、自分たちこそ一致兄弟団の真の後継者であると考えました。1524年、少数派の指導者の一人であるヤン・カレネツは鞭で打たれ、やけどを負わされました。その後、少数派のメンバー3人が火あぶりの刑に処されました。


確かに主の日の前にも、イエス使徒たちにならおうと努力していたクリスチャンがいました。彼らは、山に逃げるようにというイエスの助言をその当時当てはめていたものと思われます。(マタイ24:16)また彼らは、簡素な農耕生活を送り自給自足することを勧めている箴言の助言もそのまま当てはめていました。(箴言12:11)








ロシアの文豪トルストイは、ヘルチツキーのことを「中世最大の偉人」と呼んで絶賛しています。ただ、時は中世ですから、ほとんどの人が「チェコ兄弟団」の素晴らしさを理解出来ず、兄弟団は、時の権力者から数度に渡って弾圧を受けました。


それでも長い年月を生き延び、今ではチェコ国民の10%弱が兄弟団の信者であるということです。現代の兄弟団がヘルチツキーの理想を実践しているかどうかは調べていませんが、確かに聖書の助言をそのまま当てはめようと努力するクリスチャンのグループが中世に存在していました。



箴言12章・来るべき食糧不足に備える


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