続 真実の愛と盲目の恋を見分ける


先回、「真実の愛と盲目の恋を見分ける」の中では一目ぼれについて論じていました。今回、今回真実の愛と盲目の恋の違いについて、「若い人が尋ねる」の本31章から抜粋したいと思います。


愛と盲目の恋との比較

「恋におぼれると盲目になり,盲目のままでいることを好み,現実を見ようとはしない」ことを24歳のカルビンは認めます。ケニアという16歳の少女はさらにこう言います。「だれかに夢中になっていると,その人のすることは何もかも完全だと思うのです」。


しかし,真の愛についての聖書の説明に注意を向けてください。『愛は辛抱強く,また親切です。愛はねたまず,自慢せず,思い上がらず,みだりな振る舞いをせず,自分の利を求めず,刺激されてもいら立ちません。傷つけられてもそれを根に持ちません』―コリント第一 13:4,5。


真実の愛は『自分の利を求めない』ので,聖書が示す原則に基づく愛は自己中心的でも,利己的でもないのです。なるほど二人は強い恋愛感情を抱き,互いに引きつけられるかもしれませんが,理性と相手への深い敬意によってその感情のバランスを保つのです。本当の意味で愛していれば,相手の福祉と幸福を自分のことのように気にかけます。自分の感情に圧倒されて適切な判断力を失うようなことはしません。


真実の愛の模範

聖書に記述されているヤコブラケルの物語は,このことをはっきり示している例です。この二人はある井戸のそばで会いました。ラケルは父親の羊に水を飲ませるためにそこに来たのです。ヤコブはすぐに彼女に引きつけられました。それは「姿が美しく,顔だちも美しかった」上に,エホバの崇拝者だったからです。―創世記 29:1‐12,17。


ヤコブは丸1か月ラケルの家族と一緒に暮らした後,自分がラケルを愛していること,そして彼女との結婚を望んでいることを明らかにしました。単なる盲目の恋だったのでしょうか。決してそうではありません。その月の間ヤコブは,ラケルの普段の生活―両親や他の人々への接し方,羊飼いとしての仕事ぶり,エホバへの崇拝をどれほどまじめに考えているか,などを見ていたのです。ですからラケルの“一番良い状態のとき”も“一番悪い状態のとき”も見たに違いありません。したがって,ラケルに対するヤコブの愛は放逸な感情ではなく,理性と深い敬意に基づく利他的な愛でした。




現代の女羊飼い−昔のラケルもこんな感じだったかもしれない。



だからこそヤコブは,ラケルを妻にもらえるのであれば,ラケルの父親のもとで7年間喜んで働くと宣言することができたのです。盲目の恋ならばそれほど長くは続かなかったでしょう。純粋の愛,相手に対する無私の関心があって初めて,それらの年月を「ほんの数日」のように感じることができたのです。その純粋の愛ゆえに,二人はその間純潔を保つことができました。―創世記 29:20,21。


愛? それとも盲目の恋?


1.利他的な気持ちで相手の益を気遣う
2.恋愛は多くの場合、たぶん数か月ないしは数年かかって徐々に始まる
3. 相手の全人格や霊的特質に引かれる
4. 自分に及ぶ影響としては, 人格が向上する
5. 相手を現実的な目で見,その欠点を知っても,その人への愛は変わらない
6. 口論することもあるが, 十分に話し合って問題を解決できることが分かる
7. 与えたい,分かち合いたいという気持ちがある

盲目の恋
1.自己中心的、限定的。「自分にどんな益があるだろうか」と考える
2.恋愛は数時間ないしは数日で急速に始まる
3.相手の容姿に強く魅せられる、または関心を持つ。「彼の目、すてきだわ」、「彼女はスタイル抜群だ」
4.破壊的で、混乱を引き起こす影響がある
5. 現実的でない。相手が申し分のない人に思える。人格に重大な欠点があるのではないかという疑いが絶えず心に浮かんでも,それを無視する
6.ひんぱんに口論する。実際に何も解決できない。キスで“解決”する場合が多い
7.特に性的衝動を満足させる面で,取ろう,得ようとする態度がある


時間がかかる

ですから真実の愛は時間によって損なわれることはありません。確かに,ある程度時間をおくことは,多くの場合,ある人に対する自分の感情を試してみる一番良い方法です。サンドラという若い女性は,「簡単に,『これが私です。私のことはもう全部お分かりでしょう』と言って,自分の性格を見せるような人はいません」と言いました。そのとおりです。あなたが関心を持っている人を知るにも時間がかかるのです。


時間をおくと,自分のロマンチックな関心を,聖書の光に照らして調べる余裕ができます。愛は『みだりな振る舞いをせず,自分の利を求めない』ということを忘れないようにしましょう。


あなたの相手は,あなたの計画がうまくいくことを強く望みますか,それとも自分の計画だけに熱心ですか。あなたの見解や感情を尊重しますか。利己的な情欲を満たすために,実際に『みだりな』ことを行なうよう,あなたに圧力をかけたことがありますか。その人は人前であなたをけなす傾向がありますか,それともあなたの気持ちを引き立ててくれますか。こうした質問を考えてみることは,自分の感情をより客観的に評価するのに役立ちます。


性急な恋愛は災いを招きます。「私はたちまち深い恋に陥りました」と,二十歳になるジルは説明します。2か月にわたる大恋愛の末,彼女は結婚しました。しかし,それまで隠されていた色々な欠点が表面に出るようになりました。結婚して2年ほどたったある日,ジルは,あなたは「安っぽくて」,「怠け者」で,夫として「失格」よ,と金切り声を上げました。それを聞いてリックは妻の顔を殴りつけました。ジルは泣きながら家から飛び出しました。それは結婚から逃げ出すことでもありました。


聖書の助言に従っていたなら,二人は結婚生活を持続することができたでしょう。(エフェソス 5:22‐33)しかし,結婚する前にもっとよく知り合っていたならば,事情はだいぶ異なっていたに違いありません。二人の愛は“イメージ”に対するものではなく,長所も短所もある実際の人格に対するものだったでしょうし,二人の期待もより現実的なものになっていたことでしょう。


真実の愛は一夜にして生まれるものではありません。また,あなたの理想的な配偶者となる人が,圧倒されるような魅力の持ち主である必要もありません。


例えばバーバラはある青年と知り合いました。彼女はその青年に最初のうちは特に魅力を感じていなかったことを認めます。「しかし,彼をよく知るようになると,それが変わってきました。スティーブンが他の人たちに関心を示し,自分のことよりも他の人の益を常に優先するのを私は見たのです。こういう特質が男性を良い夫にするということは分かっていました。私は彼に心を引かれ,彼に愛情を抱くようになりました」。結果として堅実な結婚生活が始まりました。


ではどうすれば真実の愛かどうかが分かるのでしょうか。あなたの心は語るかもしれませんが,聖書で訓練された思いを信頼してください。相手の外面の“イメージ”以上のものを知ることです。二人の関係が開花するための時間を与えましょう。盲目の恋は熱しやすく冷めやすいことを忘れてはなりません。純粋な愛は時がたつにつれて深まり,「結合の完全なきずな」となります。―コロサイ 3:14


次回は、「若い人が尋ねる」の本31章「真実の愛であるかどうかは、どうすれば分かるのだろう」から「どうすれば失恋から立ち直れるだろうか」を抜粋してアップしたいと思います。


真実の愛と盲目の恋を見分ける

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