詩編62編・神に依り頼むとは

「民よ,いつでも神に依り頼め。 そのみ前にあなた方の心を注ぎ出せ。 神はわたしたちのための避難所である。」(詩編62:8)


詩編62編8節では、いつでも神に依り頼むように勧めています。神に依り頼むとは何を意味するのでしょうか。


他の何物でもなく、エホバに依り頼むことが重要です。詩編62編では、まず私たちは、エホバ以外のどんなものに依り頼むべきでないかを述べています。


詩編62編9節には、人間について「呼気」であると述べられています。人間ははかなく、いつ死んでしまうか分からないので、「呼気」のようです。それで、人間に依り頼むならば、依り頼んだ人が死んで失望させらることになります。


聖書には、高貴な者やエジプトのファラオに依り頼むことについて述べられています。(詩編118:8,9。エレミヤ46:25)しかし、人間は、権力があるように見えてもいつ死ぬか分かりません。政治支配者などに依り頼むならば私たちは失望させられるでしょう。


また、詩編62編10節には、「だましとることにあなた方の信頼を置いてはならない。」と述べられています。非聖書的な間違ったやり方に信頼するべきではありません。それがうまくいくのは、一時的でしょう。また、それは、道徳的に正しいことでもありません。


また、詩編62編10節には、「たとえ資産が増えたとしても、それに心を留めてはならない。」とありますから、私たちは、富に依り頼むことのないようにすべきです。箴言11章28節には、「自分の富に依り頼む者−その者は倒れる」と述べられています。


他にも、私たちは偶像などに依り頼むことがあり得ます。(詩編31:6)しかし、エホバ以外の者に依り頼み信頼すると私たちは失望させられます。私たちはエホバにのみ、依り頼むのが賢明です。


では、次に神に依り頼むとはどうすることを意味するか調べましょう。詩編62編の中でダビデはそれに答えています。冒頭の聖句にあるように神を避難所とすることです。(詩編62:8)ですから、神を避難所とするとは、苦難に直面した時に、神に頼るということです。


また、ダビデは、「いつでも神に依り頼め。 そのみ前にあなた方の心を注ぎ出せ。」と述べているのですから、神に依り頼むとは、神のみ前に祈りによって自分の心を注ぎ出すことです。





神のみ前に心を注ぎ出す


しかし、「いつでも」神に依り頼むように勧められているのですから、神に依り頼むことは、私たちが苦難に直面した時だけではなく、いつもそうするべきです。ですから、神に依り頼むことは、私たちの習慣であるべきです。祈りによって心の中にあることをすべて神に申し述べ、神に助けと導きをあおぐことを習慣とすべきです。


箴言によると、エホバに依り頼むとは、自分の理解や判断に頼らず、すべての道においてエホバを認めることをも意味します。これはいつも神のみ言葉聖書の示す原則や導きに頼ることを意味しているでしょう。(箴言3:5,6)


詩編62編12節は、「エホバよ、愛ある親切もあなたに属するのです。あなたご自身が各々にその業に応じて返報されるからです。」と述べています。それで、私たちがエホバに依り頼む時に、エホバは、愛ある親切をもって答えてくださいます。私たちの業に応じて返報され、幸いに導いてくださいます。


エホバ以外の実体に頼るならば、私たちは失望させられます。しかし、エホバに依り頼むとき、エホバは私たちを失望させず、永遠の命に至る道に導いてくださいます。(箴言3:2,5)それは、エホバが全能の愛ある親切の神であられるからです。


他の何物でもなく、いつでも、エホバに依り頼むようにしましょう。いつでも、エホバに祈り、心の中にあることをエホバに申し上げるようにしましょう。


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