配偶者が不倫をしたとき(1)−神の模範

この記事は、ものみの塔1984年3/15号「配偶者が不義を働くとき」からの抜粋です。この記事で設定されている状況は、ふたりともエホバの証人である場合です。しかし、原則は、一方だけが信者であったり聖書の原則に敬意を払っている場合にも、適用できるでしょう。一部付け加えています。

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それは耐え難いほどの大きなショックでした。その夫婦には小さな子供が一人あり,若い妻は二人目の子供を身ごもっていました。ところが妻は夫に裏切られたことを知りました。夫は姦淫を犯したのです! 心をひどく傷つけられ,気持ちが混乱してしまった妻は,どうしていいか分かりませんでした。





         裏切り




残念なことですが,こういう問題は少なくありません。様々な国からの報告は,配偶者を裏切って不倫をして,結婚生活を重大な危機に陥れる既婚者が少なくないことを示しています。クリスチャンならば,自分の配偶者が不倫をしたことを知ったときどう反応したらよいでしょうか。


そのような場合には,この問題に関するイエスの次の言葉を考えてみなければなりません。「あなた方に言いますが,だれでも,淫行以外の理由で妻を離婚して別の女と結婚する者は,姦淫を犯すのです」。(マタイ 19:9)これはどういう意味でしょうか。淫行(聖書的意味においては姦淫および同性愛行為のようなはなはだしい性の不道徳が含まれる)は,結婚生活を解消させるものとなり得るということです。聖書的な見地からすると,潔白なほうの配偶者には,罪を犯した配偶者を離婚して再婚する権利があります。そのようにしても神のみ前に罪はありません。


では,潔白なほうの配偶者はそうした行動をとらなければならないのでしょうか。


神が自ら示した模範

昔のイスラエルの時代に見られた一つの例は,この質問に答える助けになります。神の預言者であったホセアという人はゴメルという名の女と結婚し,彼女によって一人の息子をもうけました。この後ゴメルは不義を働き,他の男たちの子供を二人もうけました。それから彼女はホセアを捨てて愛人たちのもとに走ったようです。それでもホセアは深い同情を示しました。ゴメルのために金を払わなければならなかったにもかかわらず,ホセアはのちほどゴメルを連れ戻しました。(ゴメルは愛人たちに捨てられて窮乏し,奴隷になっていたようです。)そのようにホセアは,妻に対して厳正な態度で臨まずにむしろ憐れみを示しました。


ホセアのこの憐れみは,聖書の中で,過ちを犯した妻に示されるさらに大きな憐れみの行為の例として用いられています。エホバ神はご自分とイスラエルとの関係を,夫と妻の関係に例えておられました。ある時エホバは,『わたしは夫としての所有権を持っていた』と言われました。(エレミヤ 31:32)しかし,イスラエル人はホセアの妻のように神に対していわば不義を働きました。彼らはしばしば偽りの神々を崇拝して霊的姦淫を犯しました。(ホセア 6:10; 7:4)神はご自身の律法によってイスラエルを「離婚」し,捨て去ることもできました。神はどうされたでしょうか。


神はホセアの例を,過ちを犯したイスラエル人という「妻」の不道徳な行ないを許されるご自分の憐れみを示すために用いられました。そして、聖書の記録によると、神はイスラエル人の霊的姦淫を何度も許して、イスラエル人を敵から救い出すことをされました。神は、イスラエル人が霊的姦淫を行なっても彼らが悔い改めた時許されて、ご自分とイスラエル人の比ゆ的な結婚関係を1500年余り継続されました。


そして、『イスラエルの子らが戻って来て,自分たちの神エホバを,また自分たちの王ダビデを必ず求め,末の日に,彼らがエホバのもとに,その善良さのもとにわななきながらやって来る』ときを待ち望んでおられました。―ホセア 3:5。
クリスチャンは過ちを犯した配偶者を同様の愛をもって許すことができるでしょうか。


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次回は、「配偶者が不義を働くとき(2)−憐れみを示す」という記事をアップしたいと思います。神の憐れみにどのように見倣えるかを取り上げます。


夫婦の愛は取り戻せる(3)−配偶者に対する話し方

結婚生活を幸福なものにする(3)−性の問題と離婚

結婚は生涯の結びつきですか

イザヤ34章・エドムに対する復しゅうの日