啓示16章・ハルマゲドンの全能者なる神の大いなる日の戦争とは

「それらは実は悪霊の霊感による表現であってしるしを行ない,また人の住む全地の王たちのもとに出て行く。全能者なる神の大いなる日の戦争に彼らを集めるためである。・・・そして,それらは[王たち]を,ヘブライ語でハルマゲドンと呼ばれる場所に集めた。」(啓示16:14,16)


啓示16章14節に登場するハルマゲドンで戦われる「全能者なる神の大いなる日の戦争」とは、何でしょうか。


その聖句の前を読むと、龍である悪魔サタンと、野獣である人間の政治体制と、偽預言者であるアメリカ合衆国から「悪霊の霊感の表現」が出てきます。(啓示16:13)悪霊の霊感の表現の目的は「全能者なる神の大いなる日の戦争に(全地の王たち)を集める」ということです。それらは、また、全地の王たちをハルマゲドンに集めます。


従来、エホバの証人は、ハルマゲドンで行なわれる全能者なる神の大いなる日の戦争を、大患難の最高潮の時を意味すると解釈しています。ですから、その時は、この事物の体制の人々をイエスと天の軍勢が裁く時だと解釈しています。(2005年12/1ものみの塔を参照してください。)


そして、エホバの証人はハルマゲドンの前に国連が偽りの諸宗教を攻撃すると考えています。そのために、イエスが言われた山に逃げるとは、文字通りの行動が必要であると考えていません。(マタイ24:16)山というのは、組織を表わしており、エホバの証人の組織に逃れていれば、それで山に逃れたことになると解釈しています。


このハルマゲドンでの全能者なる神の大いなる日の戦争とは何かを再考してみたいと思います。


冒頭の啓示16章14,16節の聖句がどのような文脈で語られているかを考慮してみます。それは、最後の者たちの第六の者たちが神の怒りの災厄を注ぎ出した後に起こることです。(啓示15:1;16:1,12)また、「全能者なる神の大いなる日の戦争」への言及があった後に第七の者が神の怒りの災厄を注ぎ出します。(啓示16:17)すると大いなるバビロンは神のみ前で思い出され、彼女に神の憤りの怒りのぶどう酒の杯が与えられます。(啓示16:19)そして、続く啓示17章、18章では、大いなるバビロンの裁きについて詳細が語られます。


ですから、啓示16章14節の文脈で考慮されているのは、大いなるバビロンに対する神の裁きです。また、悪霊の霊感による表現は、アメリカである偽預言者から出ます。エホバの証人は、啓示の偽預言者英米二重世界強国であると解釈しています。(「ダニエルの預言」の本9章141ページ)私は偽預言者アメリカ合衆国だと解釈しています。また私は大いなるバビロンはアメリカ合衆国だと解釈しています。それで偽預言者が登場する時点で、まだ大いなるバビロンは裁きを受けていません。


それで、私は大いなるバビロンに対する神の裁きを「全能者なる神の大いなる日の戦争」と呼んでいるのではないかと思います。それで、ハルマゲドンで行なわれる全能者なる神の大いなる日の戦争とは、緋色の野獣による大いなるバビロンに対する攻撃を意味するに違いありません。またその時は、全地の王たちを二つに分ける世界戦争の時となります。ですから、その時は確かに「人の住む全地の王たち」が巻き込まれる時になります。


ハルマゲドンとは、ギリシャ語で「ハル マゲドーン」、ヘブライ語で「ハル メギッドーン」で、「メギドの山」という意味があります。メギドは、ユダの王アハジヤや、ヨシヤ王が死んだ場所です。ヨシアは神のみ口から出たエジプトのファラオ・ネコの言葉に聞き従わず、メギドの谷あいの平原でネコと戦うために行って死んでしまいました。(列王第二9:27、列王第二23:29、歴代第二35:22)


また、ゼカリヤ12章11節にはメギドの谷あいの平原にあるハダドリモンで泣き叫びがあると述べられています。ゼカリヤ書のその預言は、メギドで起こることについて預言したものだと考えられます。メギドとは、天的希望を持つ者を予型的に表わしていた古代のユダの王が戦って死んだ所でした。


それで、ハルマゲドンとは、天的希望を持つ者たちが死ぬ場所になるのかもしれません。それで、そのためにそこで泣き叫びがあるのかもしれません。それで、ある天的希望を持つクリスチャンはこの事を見分けずに、命を失うことになるのでしょうか。これは、事態が進展してゆかなければ分かりません。それで、エホバの証人の従来の解釈を再考してみられるようにお勧めしたいと思います。


ハルマゲドンで行なわれる全能者なる神の大いなる日の戦争とは、第三次世界大戦となる今だかつて起きたことがないような大患難です。(マタイ24:21)ですから、私たちは文字通り山に逃げて安全な所にいる必要があります。私たちは、世界情勢を良く見守り、「全能者なる神の大いなる日の戦争」に備えて準備をする必要があります。将来、山に逃げることを念頭に置いて、準備をするべきだと思います。(マタイ24:16)



イザヤ13章・バビロンに対するエホバの日

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