啓示2章・神のパラダイスにある命の木から食べる

「耳のある者は霊が諸会衆に述べることを聞きなさい: 征服する者に,わたしは,神のパラダイスにある命の木から食べることを許そう」(啓示2:7)


エスは、ヨハネへの啓示の中で七つの会衆のひとつエフェソス会衆のクリスチャンに神のパラダイスにある命の木から食べることを許すという見込みを差し伸べておられます。これは、何を意味しますか。イエスの約束の意味を調べてみましょう。


まず、征服するとは何を意味しているでしょうか。イエスは「征服する者」とは、「わたしの行ないを終わりまで守り通す者」であると言われました。(啓示2:26)それで征服するとはイエスのように死に至るまで忠実に神のご意志を行なうことを意味するでしょう。(ヨハネ4:34)


神のパラダイスとはどこでしょうか。イエスはご自分の死の直前に隣で杭に掛けられていた犯罪者にパラダイスにいるようになるという見込みを差し伸べられました。(ルカ23:43)犯罪者が死の直前にイエスに信仰を働かせたからといって聖なる天に行くという見込みを差し伸べるはずがありません。(使徒24:15)イエスが杭にかけられた時に、隣にいた悪行者に約束されたパラダイスとはこの地上のパラダイスであることは、明らかです。


しかし、エフェソス会衆の成員は、死ぬ直前に悔い改める悪行者とは、立場が違います。エフェソス会衆の成員は、クリスチャンの歩みを始めてから、死に至るまで、イエスの足跡に従って歩みます。ですから、自分の死の直前にイエスに信仰を働かせた犯罪者とは、異なる報いを、エフェソス会衆のクリスチャンは差し伸べられているはずです。啓示の書でイエスが述べた神のパラダイスとは地上のパラダイスではなく、エホバ神や復活されたイエスや多くのみ使いたちがいる天の領域のことを神のパラダイスと言っていると考えられます。


パウロがパラダイスの幻を見たということを述べています。パウロはパラダイスの幻について次のように述べています。「わたしは,主の超自然の幻と啓示のことに移ります。・・・その人はパラダイスに連れ去られ,人が話すことを許されず,口に出すことのできない言葉を聞いたのです。」(コリント第二12:1,4)


パウロの聞いた,人が話すことを許されず,口に出すことのできない言葉とは、おそらく天で用いられているみ使いたちのことばを意味しているでしょう。パウロは「み使いのいろいろなことば」があると述べています。(コリント第一13:1)み使いのいろいろなことばは、確かに人が話すことができず、口に出すことのできない言葉です。


地上でいろいろな人間の言語が存在するように天でもみ使いたちのいろいろな言葉が話されているようです。それで、パウロが見たパラダイスとはエホバ神のおられる天のパラダイスでしょう。パウロは前もってエホバ神やみ使いのいる天のパラダイスで受ける祝福に関する幻を見せられました。それで、イエスがエフェソス会衆の成員に約束された神のパラダイスとは、すでにパウロに啓示が与えられていた天のパラダイスを意味しているでしょう。


神のパラダイスにある命の木とはなんでしょうか。エデンの園の真ん中に命の木が生えていました。(創世記2:9)創世記3章22節から、命の木の実を食べるならば永遠に生きられるようになることが分かります。ですから、神のパラダイスにある命の木から食べることを許されるとは、天での永遠の命をイエスから保証されることを意味しているでしょう。


しかし、啓示の書の中で言及されている永遠の命とはこの地上における永遠の命のことではないことは、次の啓示の書の記述からも分かります。啓示22章19節には、「この預言の巻き物の言葉から何かを取り去る者がいれば,神は,命の木から,また聖なる都市の中から,・・・彼の分を取り去られるであろう」とあります。それで命の木から食べるというのは、聖なる都市の中に入るという報いにあずかることを意味しています。


ですから、神のパラダイスにある命の木から食べることを許されるというのは、新しいエルサレムの中で、つまり天の神の王国の中で永遠の命を受けることを許されるという意味でしょう。神の王国には、地上の神の民をイエスとともに共同で王として支配する者たちが入ることを許されます。(啓示5:10;20:6。テモテ第二2:12)そして、それらの者たちに差し伸べられるのは、霊者としての不滅の命です。(コリント第一15:40,44,50,53)


それで、エフェソス会衆の差し伸べられた神のパラダイスにある命の木の実から食べるという報いは、イエスのように死に至るまで忠誠を保って勝利を得るクリスチャンが、天の神の王国で、霊者として永遠不滅の命を受ける事ができるという意味でしょう。


聖書は神がそれぞれの人間に地的な希望と天的な希望と二種類の希望のどちらかを差し伸べられることを示しています。一部のクリスチャンには、エホバ神は、天での報いを差し伸べられます。この報いを差し伸べられたクリスチャンは、その報いにあずかるために必ず死ななければなりません。天での報いを差し伸べられたクリスチャンは、試練にあっても、死に至るまでイエスのように忠誠を保つように励まされるでしょう。



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