ポルノ−欲望を育て罪を産む

今日,ポルノはまさに広く浸透し,現代社会の大部分に受け入れられている感があります。ポルノは、無害な気晴らしですか。


中には,ポルノと、性犯罪の発生率に相関関係は実証されていないとして,ポルノを擁護する人もいます。しかし,すべての人がそれに同意しているわけではありません。ポルノが種々の有害な結果や態度を招いた例は少なくありません。証拠は、ポルノとレイプの関係,さらにはポルノと女性や子どもに対する他の暴力行為との関係を示唆しています。

聖書は性に関して率直に述べている

聖書は性的な事柄を包み隠さずに扱っており,恥ずかしいこととしてはいません。(申命記 24:5。コリント第一 7:3,4)ソロモンは,「あなたの若い時の妻と共に歓べ。......その乳房が常にあなたを酔わせるように」と諭しています。(箴言 5:18,19)ですから、聖書は結婚関係内の性関係を楽しむようにと率直に勧めています。


一方、結婚関係外の性行為はいっさい禁じられています。同性愛や獣姦などの倒錯した異常な性行為も禁じられています。(レビ記 18:22,23。コリント第一 6:9)


ポルノは罪を産みだす

今日,多くの人は,性的な空想にふけるのは悪いことでも危険なことでもないと思っていますが,聖書は違う見方をしています。聖書は,思いに取り入れるものと行動の仕方が元々深くかかわっていることを明確にしているのです。


クリスチャンの弟子ヤコブはこう指摘しています。「おのおの自分の欲望に引き出されて誘われることにより試練を受けるのです。次いで欲望は,はらんだときに,罪を産みます」。(ヤコブ 1:14,15)イエスもこう述べています。「女を見つづけてこれに情欲を抱く者はみな,すでに心の中でその女と不倫を犯したのです」。(マタイ 5:28)


ヤコブとイエスが共に指摘しているように,人間は内面の欲望に駆られて行動します。その欲望は,刺激され勢いがつくと,ついには人を行動へと駆りですから,自分の思いに取り入れるものは,わたしたちのその後の行動に強力な影響を及ぼし得ることを聖書は示しています。


性犯罪者や変質的な殺人者の自宅を捜査したところ、多量のポルノが発見され、犯人がポルノにふけっていたことが明らかになった例は少なくありません。アメリカでは、33人の少年を殺害した犯人は、ゲイのポルノを持っていました。日本でも何人もの幼女を殺害した犯人は、性的ないたずらをしている場面をビデオに大量にとっていました。


有名な連続殺人犯テッド・バンディは,30人以上をレイプし、殺害しさらに倒錯した性行為を行ないました。彼は、残虐な性描写を特徴とするスナッフフィルムのファンでした。



テッド・バンディ(ウィキペディアより)

彼は、「暴力的なポルノに対する強い欲求」があったことを認め,こう言っています。「こういう状態は人が見てすぐに分かるものではない。深刻な問題とされるわけでもない。......しかし,この種の好奇心があると......性的暴力へと突き進むことになる。その好奇心は次第に高まってゆくものであり,そのことはいくら強調してもしすぎることはない。それは,短期間では終わらない」。


ポルノにふけっていた性犯罪者が犠牲者に非人道的な行為をしていることは、ポルノによって女性や子供に対して敬意を払えなくなり、犯罪行為に導かれることを示しています。


しかし,ポルノを避けるべき重要な理由は,ほかにもあります。「ポルノ−偶像崇拝であり結婚を卑しめる」を、次回アップしたいと思います。




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