イザヤ2章・末の日に臨むエホバの日

「その日には、エホバただおひとりが必ず高く上げられる。それは万軍のエホバの日だからである。・・・無価値な神々は完全に過ぎ去る。」(イザヤ2:11,12,18)


イザヤ2章には、「万軍のエホバの日」という言葉が登場します。聖書の中で「エホバの日」とは何を表しているのでしょうか。どんな日となるのでしょうか。


エホバの日とは過去において、何度もありました。それは、バビロンに対してエホバが裁きを執行する時でした。(イザヤ13:1,6)それはまたユダとエルサレムにエホバの裁きが臨んだ時でした。またそれら過去のエホバの日は、「末の日」すなわち「終わりの日」に起こるエホバの日を予示していました。(テモテ第一3:1。ペテロ第二3:3)


今回は、イザヤ書2章に示されている「エホバの日」について調べてみましょう。イザヤ1,2章の預言は、「ユダとエルサレム」に関連した預言です。(イザヤ1:1;2:1)そしてイザヤ2章6節には、エホバが「ご自分の民、ヤコブの家を捨て去られた」と述べられています。それゆえに、イザヤ2章11節で言及されている「エホバの日」は神の民であったユダとエルサレムに臨みました。


イザヤ2章13節では、エホバの日は、イスラエルの領域であったレバノンとバシャンに臨んだと述べられています。また、それはまた多くの学者によりスペインと考えられているタルシシュにも臨みました。それで、イザヤが予告したエホバの日は、最初に西暦前607年に、ユダとエルサレムをがバビロンによって倒壊した時に、ユダとエルサレムを中心とした地域に予示的に臨みました。


しかし、イザヤ書2章は、「末の日」の「ユダとエルサレムに関して」も預言しています。(イザヤ2:1,2)西暦前607年にユダとエルサレムに臨んだエホバの日の特徴は、この終わりの日に臨むエホバの日にも当てはまるでしょう。では、現代のユダとエルサレムとは何を表しているでしょうか。


この終わりの日に臨むエホバの日として聖書の中で予告されているのは、国際連合と諸国家が大いなるバビロンに対して総攻撃をかけるエホバの日です。(啓示17:16。マタイ24:15)その日は、イエスの予告された未曾有の大患難になります。(マタイ24:21)


昔、エホバの日は、古代の政治的な国家に臨んだのですから、末の日に裁かれる「ユダとエルサレム」もひとつの国家を表しているのではないでしょうか。「エホバの日」に裁かれる「ユダとエルサレム」は、アメリカ合衆国をも表しているのではないかと思います。


なぜなら、アメリカは、キリスト教国であり、その国の大半の人々は自称クリスチャンで、昔のユダとエルサレムのように国家として神の民であると自称しているからです。


さらに、まさにキリスト教国であるアメリカ合衆国の中で、20世紀と21世紀にエホバに対する崇拝は高められています。(イザヤ2:1,2)エホバの証人は、アメリカを本拠地に全世界に発展しています。アメリカで世界中の諸国民がエホバの崇拝に集められています。それは、イザヤ2章の現代のユダとエルサレムに関する積極的な成就と言えるのではないでしょうか。


しかし、エホバの日が昔のユダとエルサレムに臨んだ理由のひとつは、「彼らの地は無価値な神々で満ちて」いるためでした。(イザヤ2:8)同様に今日、大いなるバビロンの中でも偶像崇拝が満ちています。まず、マリア崇拝やキリストの偶像に対する崇拝が見られます。また、アメリカに満ちている偶像崇拝のひとつは、国家を崇拝することです。アメリカでは国家に忠誠を誓う習慣が日常的に見られます。また、アメリカの教会の中で、国家が歌われることがあります。




アメリカに対する忠誠の誓い−偶像崇拝行為


また、昔のユダとエルサレムの地は「馬で満ち、その兵車は限りがありません。」でした。(イザヤ2:7)聖書は救いを馬に頼ることがないように戒めていました。(箴言21:31。詩編33:17)しかし、昔のユダとエルサレムは、自国の保護と救いのために、馬と兵車、つまり軍事力に頼りました。同じように、大いなるバビロンは神ではなく、自国の軍事力に頼っています。



それで、終わりの日に現代のユダとエルサレムであるアメリカにエホバの日が臨む理由の一つは、アメリカが聖書の神を崇拝すると主張しながら、そこには偶像崇拝が満ちているからです。


それで「末の日」の「ユダとエルサレム」、「大いなるバビロン」に「エホバの日」が臨みます。国連と諸国家は、大いなるバビロンを総攻撃をして、徹底的に滅ぼしてしまうことが預言されています。(啓示17:16)


イザヤ2章によると、人々は、エホバの日が到来したのを見て、それまで崇拝し頼っていた偶像を捨て、「岩の洞くつ」や「塵の中」や「大岩の裂け目」に「入る」と予告されています。(イザヤ2:19,21)岩の洞くつや穴に入るという表現は、人々が他の人間、おそらく政府や人間の組織に頼ることを意味しているでしょう。(イザヤ2:22)


昔ユダとエルサレムにエホバの日が臨んだ後、ユダの地では、偶像崇拝は、衰退しました。同様に、終わりの日にエホバの日が到来した後、国際連合の時代になると、真のキリスト教以外の宗教は衰退すると考えられます。大患難の後の時代には、宗教組織が弱体化し、国際連合の支配力や国家主義がさらに一層強まることでしょう。また、当然大いなるバビロンの国家主義、また軍国主義という偶像崇拝も過ぎ去ってしまいます。


私たちは、エホバの日が到来する前に、エホバに関する知識を取り入れ、真の預言を見極め、偶像ではなく「万軍のエホバ」を崇拝するようにしましょう。(イザヤ2:12)そうすれば、「エホバの怒りの日に隠される」「だれも数えつくすことのできない大群衆」の一人となって「大患難を出て来る」ことができるでしょう。(ゼパニヤ2:2,3。啓示7:14)



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